人気漫画アクタージュ原作者・強制わいせつで逮捕 マツキタツヤこと松木達也容疑者(29)

アクタージュ 原作マツキタツヤこと松木達哉容疑者(29)逮捕。


週刊少年ジャンプで連載していた「アクタージュ」
舞台役者の成長を描く俳優漫画。

舞台装置には有名な「西遊記」や「銀河鉄道の夜」などを利用し
非常に濃厚かつ美しい世界感の作品。

舞台を元にしている作品は少なくなく、全くのオリジナル作品よりは
「元ネタ」が傑作なぶん、上質なものが多いが、今作もふさわしく評価できる作品だった。

原作(ストーリー構成)と演出・絵などと務める作画担当の二人構成作品。
昔はタッグ漫画というのはめずらしいものだったが今は主流の売り方だ。
かつて「ヒカルの碁」が絵とお話、違うの?とびっくりした経験をした年代の方もいるのはないだろうか。
今回の事件の発端は原作者のペンネーム「マツキタツヤ」こと松木達哉容疑者(29)。

自転車にのり女子中学生など十代半ばを中心とした「女学生」をメインターゲットに「痴漢」を繰り返していたことが判明。
痴漢の内容とは自転車で近付き、後ろから抱き着いて、胸をもんだ。
明確な強制わいせつ罪。

ジャンプ作家には性犯罪者が目立つ。
『るろうに剣心』で主に知られる人気漫画家
和月伸宏(本名・西脇伸宏容疑者)児童買春・児童ポルノ禁止法違反(単純所持)で書類送。

『世紀末リーダー伝たけし!』を連載していた島袋光年容疑者
出会い系サイトを通じて知り合った当時16歳の女子高校生を八万円で買春。この記載に対してよくある意見で「漫画家という職業や集英社は関係がない、たまたま名誉職のため目立っただけだ」という母数問題を言い出すものがいるが事実、他より目立つ以上私的されるのは当然のことだ。
メディアカルチャーとして定着しつつある、「漫画・アニメ」しかし、それは近年のことで「オタク文化」というマイナスイメージのバックボーンはいまだに消えないし、今後も付き合っていく問題だ。そういった時代背景や性・暴力・死・生・喜怒哀楽の念に至るものを描く上でなりたつ「サブカルチャー」的存在が創作物である。そのため文化を守りたいなら、コンテンツとして注意を払うべきだ。

また、言い出してしまえば多い少ない、たまたまという話ではない。なぜならそんなものは立証しようがない。
またこれら作品は並んで性犯罪の影響で連載が打ち切られたほか
予定されていた単行本の新刊発売は中止され、既刊も絶版となった。

上記二名と比較して(主にしまぶー)社会通俗法違反と今回の松木容疑者を混合し差し替えや降板、「作品は続行」という意見。またスピンオフとしての展開(タイトル変更やスクエア移動やジャンプ+などを含む発行)についてネット掲示板での発言が見受けられるのだがこういった「犯罪行為」と俗に、社会通俗違反、つまり不法行為と犯罪を同一化している発言が目立つ。上記二名も決して擁護も認可もできないものだが、今回は前例より明確に「犯罪行為・犯罪者」である。またマツキタツヤ氏の週刊少年ジャンプのあとがきには「社会との距離を保つために自転車を利用している」、「趣味は自転車」など、自転車を頻繁に利用していたことがわかる。この都度常習的に犯罪を行う、行おうとしていたとしてもアクタージュとその関係者を認可できるのか?

「作画担当は関係ない、宇佐崎しろ先生がかわいそう」
「ストックはあるだろうから、ストーリーテラーを変えて連載を継続してほしい」

などの声をみかけるのだが、本当に作画担当は無関係で可哀相なのだろうか?不運であったのは確かだが、「原作者と不仲」を原因に「作画が近日雑だった」というのは購読していた私自身も見ていた。
コミックでは修正済みのもいのが多く、かなり「綺麗」と言える作画担当者だが仮にマツキタツヤ氏となんらかの諍いがあったとしても作品「アクタージュ」に持ち込むのはプロとして許容されない。これは仕事である身近な以上すべてに言える。さらに、「美麗な才能ある絵」と評価をされているが彼女一人で「漫画」の「絵」は描けない。何人の働き手がいて、作品品質が維持されているのか?一概に「宇佐川しろ」の手柄ではないしあくまで「マツキタツヤ」との漫画の相性がよかった、というのは漫画を読む人ならだれもが理解している。

よって彼女が可哀相だ、というのはいささかお角違いだ。
かつ、アクタージュ関係者であれば全員が
その「かわいそう」な「被害者」であるという理論になるわけだが、そういった観点からしても連載継続や関係者も被害者発言をしているのか疑問だ。
さらに「アクタージュ」というくくりだけで言えば最も被害を受けているのはファンで応援をして消費者、購買していた読者たちである。
もう先を読むことはできないし、なにより「強制わいせつ常習犯」の漫画というレッテルはなくならない。

今回炎上商法のように持ち上げられている宇佐川氏についても絵のうまさだけでアクタージュは売れていない。むしろ話のほうに重きがあったからこそ中堅的立ち位置「コミック売り上げ維持」を保てていたことをファンは忘れたのだろか。演出に関しても「担当」・「編集」がいなくてはなりたたない。むしろ一人で書いていたように扱われるのは作画の名前を売ることとしては一番おいしい部分。その実構成は誰だって考えればわかるように、映画やドラマの撮影と変わらないのだがら。
純粋な目でアクタージュを読めなくなることが残念でならない。
そして、「ネタ」のようにさらりと実在する明確な被害者へまつわるコメント。心が痛まないのだろうか。
彼女たちは未成年、精神的に未熟な無実の学生たちが生で存在している。
一生心の傷は残るだろうし、成熟したころに精神的な問題を抱える性被害を受けた子供というのは
決して少なくない。
強姦をする前に逮捕されたこととだけがマシなようなものだ。
最低の一言につきる。残念だ。

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