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私が存在しない時間がほしい

存在していない時間を確保したい。
そこだけは守りたい。

プライベートに関して「〜の間は何をやっていたの?」と聞かれるのが苦手。
その人に会わない時間はその人との関係を「ない」ものにしたい。現在だけに基づいて繋がったり切れたりするのが楽。始まりも終わりもない、今あるか無いかだけの関係。

誰にも会わない時間は消滅したい。
誰もかもに認識されない自分だけの時間を確保することで自分を守りたい。一旦関わりを断って、存在を消して、その間に行われた事は何もかも無かったことにして、また何事も起きなかったように普段の生活に戻りたい。
私に関して「すきま時間の在り方」について尋ねると、私は逃げるかも。どうしてそんな時まで他人の中で生き生きとしなくちゃいけないんだと思って。すき間はすき間のままであってほしいし、「存在せずあっという間に過ぎた時間」でいい。

私は一生懸命一人の時間を確保して誰もからの存在の消滅を試みる。どうしても「人に意識されること」から逃げたい。それを侵略のように感じる。

私のすきま時間の行いを人に伝えることで、その人の意識の中に私の像が形成されていって、そうしたら私の一人の時間が台無しだと感じてしまう。
情報共有によって“繋がり”が生まれる。意識する・されるで人と人が繋がる感じ。それが永久に続くものであれば、私は誰かの中に存在し続ける……もしや相手の煩わしさの種になるのでは?という不安がよぎる。

私はいくら人から離れても意識により相手は煩わせられる事を知った。誰かから覚えられて大切にされる(という名の支配)ということはどれだけ恐ろしいんだろう。
喧嘩の事を一方は忘れても他方は覚えていてその人の事を恨み続けるだってさ。離れていても心配だってさ。いくら遠く離れても記憶には焼き付き、蘇り人を煩わされるの?
やっぱり「人からはっきり意識される」という事は最悪だ。いつになったら全部リセットされるんだろうとか考えちゃう。

忘却が「私だけの忘却」である事が苦しくて、それならいっそのこと人との関わりをやめてしまった方が楽かな……と感じる。
共に過ごさない時間まで人から意識されるほど苦しい事はない。私が姿を消した時、私を探さないで、はじめから存在しなかったように扱ってほしい。だけどそれは不可能で、「どうして私は他人の意識の中で存在し続けるんだろう」と悩む。

いつになったら完全に束縛から離れられるんだろう。私のことで頭がいっぱいだなんて聞きたくない。それが煩わしいとも聞きたくない。
私は直接関わらなくても誰かの頭の中で悪い妄想として攻撃し続けるの?そうして私は悪人になってしまうの?

ただ存在を消したい、忘れられたい、私なんて存在しない時間を作りたい。それは誰にも侵されない、私だけが知る幻想であってほしい。

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