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環境の影響。

雰囲気に左右されるってあるよね……

テーブルで食べる食事は快適だけど、台所で食べる食事は不快、みたいな。
家のデスクにずっと居るのは落ち着かないけど、外のベンチにはずっと座っていられる、みたいな。
実際やっている事が同じでも、環境によって気分が全く異なる。少し条件が変わっただけで落ち着かなくなったり、逆にリラックスできたり。そんな感じに私は“環境の雰囲気”に心情がかなり左右されてる気がする。

これは私のエニアグラムがタイプ9だからなのか、それとも心理機能の内向的感覚が関連しているのか……?

私は厳しい家庭で育ってるから、家にいるとダラダラしている事に怒る親の姿だとか、何かを急かされている時の心理状態とか、そういうのが次々と関連付けられてその場にいるのがしんどくなってくる ──実際、現在それが起きていないのにも関わらず。私の脳内にはその環境にいる時のあれやこれやが蘇ってきて、「この環境はこのような場所だ」という全体的な雰囲気が出来上がる。そしてそれに反した事をしていたら気分が悪くなってくるとか……だから家の中で自分を追い込みすぎて苦しくなったりする。

そんな時、外に出て散歩したりとかしてると、家にいた時のあのムシャクシャした感情が何事もなかったかのように消えていることに気付く。
そこには私を苦しめるあらゆるものとの関連性がないから何も苦しいことを思い浮かべずにリラックスできる。

そういう落ち着いた(=落ち着ける)空間にずっと留まり続けたいな〜と思ったりする。
まぁ実際には他にやるべき事とかあるし、永遠には不可能なんだけどね。でも「少しは休みたい」みたいな。その「少し」が長すぎて、思った以上に時間が経っていて「あれ?こんな長い時間何してたんだ?」みたいに思ったりする。

極論言っちゃえば、私は家に留まり続けたくない。親といると色んな“それほど急ぐ必要がない事”を急がされるし、私が返事したら「分かってるなら早くやれ!早く!」と煽られるし、何も言わなかったら「聞こえてないのか!」と今やっているものを取り上げられたりするから、それにもう疲れたというか。
かなりそれが染み付いているというか、親がいなくても『家』という環境そのものが私に焦りを感じさせて、何でも急ぎすぎて空回りして、そんな事したらまた何かダメ出しされるだろう……みたいなそんな考えが離れない。

もう最近では出かける用事がなくても家に留まる事さえ苦しくなっている。
特に用事がなくても電車に乗って仕事場(正確には「職場」とは少し違うのだけれども。訓練所?作業所?)がある駅まで行って、無駄遣いなのは分かってるけど、そうしたら親に叱られなくて済むとか考えてしまう。「少しの体調不良くらい我慢しろ、食事を抜いてまで働きに行くための努力をしろ」と何度も言われたから。それが休みの日でも染み込んでるんだよ、家にいる限り。(曜日感覚がグッチャグチャなので)

毎日フラフラしたり意識が曖昧だし時々疲れすぎて倒れそう(頭が引っ張られそう)になるんだけど、環境の影響が……私の中から抜けない。
精神的に生きている人間の心情じゃないね。風化され風に煽られてる何か。

環境を変えたら私の心情も変わると思う。(でもまともに働ける体じゃないし、お金がないから何もできないという事実!)

家でご飯を食べているとなんかイライラソワソワして落ち着かなくなるから、コンビニで食べるものを買ってイートインでゆっくり食べてるみたいな……そうしていないと精神的にやっていけない。
そんな事知られたらまた無駄遣いだと長い説教聞かされそうだからどうやってそれを回避するか?みたいに考えてたりする。そうするとまた「帰りたくないな〜」になって意味もなく何十分も何時間も色んな所を歩き回ってたりとかね……。

最近そんな状態なのです。

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