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ビリージョエル

今日、東京ドームにてビリージョエルのライブが開催されていた。
あぁ。この人生の間にわたしは彼の生演奏をもう一度聴くチャンスに恵まれるだろうか。いきたかった、いきたかった。

しかしどう考えても、このお腹で、娘を置いて夜に水道橋まで行くのはハードルが高すぎる。家族の協力も不可欠で、洗濯機が壊れているわが家にとってはチケットも高すぎる。
自分で諦めたことだけど、やっぱり今日を迎えると…行きたかったなと心から悔しさが湧く。

ビリージョエルといえばキュンとする記憶がある。
中学生のときのはなし。


楽器とか音楽に関わって生きていきたい。という漠然とした自分の好き!が見えてきた時期。

TSUTAYAに通ってはオリジナルのセットリストをMDでつくり、何度も何度も繰り返して聴く。
親に買ってもらったコンポが部屋の中で鳴らない日はなかっただろう。

そんな当時のわたしを大切に敬ってくれて、告白してくれて、いつも優しい言葉かけをしてくれた男の子が野球部の彼だ。はじめての彼氏だった。

吹奏楽部に入っていたわたしは、グラウンドが見える校舎の廊下でいつもいつもロングトーンをしていた。
窓からみえる野球部の練習を眺めながら、音をまっすぐ伸ばす。たまに彼を探す。

周りに騒がれたくなくて、学校から離れたところで待ち合わせしてから帰る下校時。
音楽の話ばかりするわたしに対して、運動大好きな野球少年はきっとちんぷんかんぷんだっただろうに。
それでもわたしの音楽愛を尊重してくれる人だった。

夏の終わりごろに来た誕生日。
彼はプレゼントを選びにいろんなお店をまわってくれた。らしい。

そして渡されたのが、ビリージョエルの楽譜集だった。

歌とピアノの譜面だし、歌詞は英語だし。
当時のわたしにはまったくピンと来ず。
感謝を伝えたものの「なんでこれ???」と思っていた。


今考えてもなんであれを選んだのかわからないけれど。よくわからないままにも、喜んでもらいたかった一生懸命な気持ちをギュッと感じる。渋すぎるセレクトに今となっては拍手喝采。


その後数年、棚で眠っていた楽譜。
中学生のわたしにはまだわからなかった魅力。

高校生くらいになってからふと気になってCDを借りてみたことがきっかけで、ビリージョエル沼にハマることとなる。

初めて聴いたアップタウンガールの威力。

なんて幸せな曲がこの世にあるのだろうと驚いた記憶だけは鮮明にある。

そして王道すぎるけどオネスティ。

わたしの音楽好き人生に大きすぎる影響を受けた曲。この進行がなによりやっぱり好きなのだ。マイナーのなかの明るさてあたたかさ切なさは、当時からわたしの心情に寄り添ってくれる。

最近の活動は追いかけていなく、来日もだいぶ後から知った。その頃にはチケットも販売終わっていたし、今回はご縁がなかったのだと思うけれど。
74歳になった彼の歌声を聴いてみたかった。


曲を聴くと野球部の彼の姿を思い出す。
ビリージョエルに出会わせてくれてありがとうと何度も思う。
今でもその楽譜は大切にとってある。
たまに引っ張りだしては、ピアノマンを弾き歌いしてビリージョエルごっこをするくらいには使い続けている。


自分がいいなと思った音楽を。
洋楽も含め、ビリージョエルの素晴らしい音楽を。
こどもたちに繋ぐ人になれたらいいな。

歴史ある至極の音楽を伝えていく側の人間にますますなりたい。世界にはこんな素敵な言葉や曲がまだまだあるんだよ。と幸せを配れる人になりたいなと思った。

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