知ってる他人の顔色なんて気にせず東大へ行けよ

かくいう私も、随分と人の顔色を気にして生きてきた方ではあるんですが!(書き出し)

バズってるツイートやら見出しのインパクトに全振りした記事やら、出どころ不明の割に耳に入ってくるお話が世の中溢れてますね。
取捨選択できるのに、知らないどこかの誰かがどんな気持ちで書いたのかも分からない文字の羅列にまんまと心がざわついたりするの、一歩半くらい譲ったとしてもなんか嫌なんですよね。百歩も譲るほど後ろに道がないのでこのくらいが限度です。なんなら崖っぷちです。遊戯王の海馬みたいな。知らない方は読んだあと「あそこで遊戯王引用すら意味あったか?」ってなってください。無いです。

フィーリングで書く!

私は子供の頃から芸能人だと誰が好き?どういうのが好み?的な質問にうまく答えられない子だったんですよ。
あんまりテレビっ子じゃなかったのと、内面を考慮しないで好き嫌いを判断するのが難しいなという価値観で。なんというか、好きか嫌いかは話してみないと分からないものでは?って考えでした。まあこれに関しては単に容姿の好みがまだ固まってなかったのかもしれないですけども。
でも、未だにこの芸能人好き?って言われると、一方的な好みを表明するのは若干抵抗もあったりします。良い人が好きなのですが、良い人であってほしいなって願望を勝手に抱くのはどうなんだろう。

つまり話は、知らない人が知らない人について書いてるものなんてどうでもいいんすよ、きっと。
なので私の記事は、あなたにとってどうでも良いものなんです!衝撃の事実!ここまでたった600文字とはいえどうでも良いものに時間を使ったショックで、あなたの人生にそれはそれは美しい花が咲き鳥は歌い海は割れ結果的に幸福度が微増します。発信する側からするとあなたは私の大事な読者様なので、良いことがあってほしいですね!

なるほど、この理屈なら芸能人も本音かはさておきファンが大切なわけだ。ってことは一方的でも不躾でも好意は向けていいみたいですね。


好きです、阿部寛さん。

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