雑記 父の命日に思う2024

昨年の記事
雑記 父の命日に思う|rinne_t_ennir #note https://note.com/rinne_t/n/n605d83471489

 1年前にこんなのを書いていた割に、休みが取れず、普通に仕事してました。事前に母には休めないことを伝えていましたが、結局全て任せてしまいました。進歩がないですね。

 今年は、父の死に目に会えなかった話を残しておこうと思います。

 父は亡くなる前年から、胃の調子が悪いとか風邪が長引いているなどと言っていたようで、それでも毎年欠かさず人間ドックは受けているから大きな病気ではないだろうと市販薬を飲んでいて、病院には行っていないというのを母から聞いていました。
 私は遠方に住んでおり、あまり実家には帰っていなかったのと、父とはあまり折り合いが良くなかったため、そんな話を聞いても、母の言っていることなど聞き流してしまう父らしいなと思っていました。

 正月に兄と叔父が実家を訪れた際に、二人とも揃って父に「顔が黄色く見えるから、お正月休みが明けたら病院に行ったほうがいい。」とすすめたそうです。その言葉に動かされ、父は正月休み明けに病院に行き、そのまま入院となりました。
 私は、その年はもともと、年始から少しズレた時期に実家に帰る予定でしたが、その帰るタイミングで入院した先の医師から病状について説明があるとのことで、昼間は普通に父の見舞いをし、改めて訪れた夜の病院にて、他の家族と共に余命宣告を聞きました。
 「もってあと半年です。」という創作の世界でしか聞かないような言葉を聞くことになり、そこまで病状が悪いのかと驚いたように記憶しています。
 その後、本人にどこまで伝えるか、今後の治療方針などを話していましたが、特に私に発言権はなく、ただ聞くだけの状態だったと思います。

 余命宣告から実際に父が他界するまで、2ヶ月しかないわけですが、その期間に何度か母から見舞いに来るように連絡が来ていました。
 その時のパートナーが、「この前、見舞いに行ったばかりだし、遠方なのになぜそんなに頻繁に行かなければならないのか分からない。余命が半年だとしたらあと何回行かなければいけないのか。」と渋っていたため、すぐには行けませんでした。しばらく後には頭のおかしな人だというのは理解できるのですが、その当時は自分自身の若さ故の未熟さもあり、考えが甘い部分もあり、言うことを聞いてしまっていたのです。普通に考えたら、パートナーの実の父が余命宣告をされているのに見舞いを先延ばしにさせるなんて、人の心がないとしか思えませんよね。本当はもっと自分勝手な理由も口にしていたのですが、酷すぎるので割愛します。
 渋っていたパートナーを何とか説得して、帰省の仕度をしている最中に、父が他界したという連絡を受けました。
 慕っていた父ではありませんでしたが、親の死に目に会えないということがこれほど悔しいものなのかと思い知らされた瞬間でもありました。

 すでにそのパートナーと離れて長い年月が経ちますが、自分の大切な選択を人に委ねることの愚かさを楔のように打ち込んでもらった点に関しては、忘れることはないと思います。
 親も自分も誰も彼もいつ死ぬかなんて分からないわけですから、後悔がないように生きたいなと、改めて思いました。

 

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