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51.「言語道断」を何と読むか?茂庭家記録に見る昔の日本語

歴史の研究をしていると面白い発見があります。私の前世が茂庭綱元ということで、茂庭家記録を読んでみました。
綱元の父親の鬼庭良直が、武田信玄のところへと行ったときのお話しです。

記録には、永禄元年(1558年)良直46歳の時、武者修行の名目で諸国を巡っていました。甲斐の国へ行ったときのこと、武田信玄を訪ねてお城に行ったとあります。その時、13歳の息子の勝頼が弓の稽古をしておりました。
10本の矢を的に当て、それを良直が褒めて、「おめごいことかな」と言いました。

その時傍にいた武田信玄の家臣の、松枝勾当という座頭が、「おめごいというのは、田舎者なり」と聞こえよがしに笑いました。良直は、その場では聞こえぬふりをしました。

後日、また城を訪ねた時、松枝勾当と出会いました。すると松枝勾当は、「これはこれは、おめごい殿お出でになられたか」と嘲笑しました。良直は、「先日は田舎者と笑われたが、盲人なればと聞き捨てにしたが、この度は許せぬ」と言って、都に伝わる古歌を伝えました。

「小倉山 おささの野辺のおみなめし
えめらといいて 花のめごさよ」

「おみなめし」とは、「おみなえし」のことで、辞書ではどちらも記載されています。

そして問題の「言語道断」ですが、茂庭家記録の続きには、「言語道断と書きて、エメラと訓ず」とあり、「愛の字をメゴイと訓ず、堂々上方も用いている言葉なり」と言って、お前は無学文盲の輩だからこの度は許してやる。と言って城を立ち去り、宿に戻って武田信玄に当てて手紙を書いています。

その内容は激しいもので、「松枝ごとき者を近習に仕わるをもってみたまえば、家風かんばしからず。本国へ帰りまする」と述べています。

「言語道断」は、現在は否定的に用いられていますが、辞書では肯定的と否定的に意味があることを説明しています。時代と共に言葉が変わっていくものなのですね。ましてや、「言語道断」を「エメラ」と読むとは、一体昔はどのような会話をしていたのでしょうか。

最後に、良直が立ち去った後、武田信玄は手紙を見て激怒します。
「鬼庭殿は、軍法の達人なので、召し抱えるつもりで、ご馳走いたしたところ、家風を嘲られたことは、松枝のせいだ」そう言うと、松枝の家に火を付けて焼き殺したと記録にあります。

鬼庭良直は、天下に知れ渡った達人だったのです。

このように、史料には一般的には知られていない面白い発見が多々あります。

今回も読んで下さりありがとうございました。感謝いたします。

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