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18.障害者の姉の前世(前編)

私の姉は障害を持って産まれてきました。現在70歳の姉は、昔でいうところの知恵遅れです。小学校では特殊学級というクラスにいて、中学生になると養護学校に通っていました。赤ちゃんの時、股関節脱臼になり放置が長かったために戻らず片足が短くなってしまいました。そのため、走ることはできずユッサユッサと身体を横に揺らしながら歩いていました。

私たちの両親は小学校低学年で離婚していて、母が生活を支えていました。姉を不憫に思い、食べ物だけは好きなものを自由に食べさせていました。しかしそれが災いして、肥り過ぎて膝を痛め塩分の摂り過ぎで腎臓病になってしまいました。それだけではなく、耳は左はまったく聞こえず、右は補聴器をかけてやっと聞こえるという状態です。とここでお終いではなく、鼻も利かないらしく匂いもわかりません。そして極めつけは、心臓も悪くて弁置換手術を受けました。その手術で判ったことは、右心室と左心室に小さな穴が開いていて左右つながっていたのです。それが分かったのが50歳の頃でした。幸いにも、足が悪くて運動ができなかったために、心臓に大きな負担がかからなかったために、大事には至らなかったのでした。何が功を奏するかわからないものです。

そんな姉ですが、私が高校生ぐらいまでは恥ずかしくて仕方がありませんでした。一番恥ずかしく思ったのは、小学生の頃だったと思います。その頃は、世間体を異常に気にしていたようです。今思えば、ええかっこしい、だったのでしょう。

しかし、自分が社会で揉まれるようになってくると、そのような恥ずかしく思う気持ちは薄らいできました。姉の前世に気付いてからは、感謝しかありません。

十数年前に母が亡くなって、私が姉の面倒を看るようになりました。私はバツイチの独り暮らしなので、姉と二人で生活しています。一応つかまり歩きは何とかできるので、家の中ではトイレの介護までしなくて良いので助かっています。紙おむつにも助けられているという状況です。

今まで書いてきましたように、私の前世は伊達政宗公に仕えた戦国武将の茂庭綱元でした。私は姉の面倒を看るようになったのは、前世で犯した殺戮の償いなのかと考えていました。母が亡くなってしばらく経ったとき、急に姉の前世に気付いたのです。姉は片倉小十郎景綱の姉だったのです。

長くなりましたので、この続きは19回でお話しします。

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