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ミッドナイトだ。〜毒を吐くことにした

今年の日アカは
海外映画祭での評価をまるっと無視、国内のいくつかの結果もきれいにスルーして、「独自の」選考基準があるかのように、みえた。もちろん皮肉だ。

「影裏」が何ひとつかすらなかったことは残念だけど、だからどうこうということではない。まして推しが選考されなかった逆恨みでももちろんない。


作品賞ノミネート作品たちは、信頼できない描写を続ける、とある監督のもの以外は全部観ていた。
ふざけんなと心のなかで罵声を吐いた作品が2つ、あった。
役者やスタッフは、奮闘したに違いない。
国民的映画スターと、国民的元アイドルを冠しての、意欲作であることも間違いない。

震災を語り始めた映画は他にもあった。かの作品は事実を描写した前半に対して、本店と政府、また当時の首相のの描き方は、フィクションだからエンタメだからを鎧にしてはいないかと、描きたいようにやっちゃったねと言わざるを得ない。公開当時のあるいは現時点での政権に対する阿った姿勢はほんとにない?と疑いたくなるような公平性の欠片もない、原発に対する反省もない、涙の?ラストシーン。試写会で青褪めた。

一方、LGBTQを描く映画も増えた。主題の一つとして本気で描くなら、もう少しその周辺を学んで欲しかったし、トランスジェンダーの思考をステレオタイプの女性性や、母性に結びつける、その回路は、勘弁してほしかった。
彼ら彼女らは、「身体を間違えて生まれた」ので、戸籍性ではない有り様を求める。そこにステレオタイプの思いがあることにたくさんの葛藤を抱えている。それを抜きにトランスジェンダーを語るのはやめて欲しかった。この映画で広まる思い込みは、また次世代の彼ら彼女らを縛ることになる。描くなということではなく、慎重に慎重を重ねて欲しい題材なんだ。


役者たちへの評価は文句はない。それぞれがその役にかけた思いもわかるから。でもどの基準で選んだのかはやっぱり不透明過ぎる。いっそ、集客興行成績で決めてくれたらスッキリするのか。上映館の数とこ公開期間とかと、収入とで計算でもしてくれたら。
審美眼とか感性が評価に結びつくものはスポーツだってなんだって不満は残るものなので致し方ないとも、思っている。


でも作品賞とか監督賞は違う。その映画の持つ影響力とか信憑性を、公平性を持って鑑みないと、戦前日本やヒトラーのように権力の宣伝に利用されたり、民衆を扇動したりする、大きな力のある文化だということを、日本の映画界を代表する組織であるなら、自覚するべきだと思う。偏ってはいけないし偏るならその視点を示さねばならない。

頼みますよ、映画人たちを守ってくださいよ。

PS : 個人賞を獲得した個人のみなさまはおめでとう。
特に新人さんたちの、シロートナノ感は半端なかった。朝が来るも、ミッドナイトも、彼女たちなしには映画が存在できない役回り。素晴らしかった。