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そこに無いモノ、そこに居ない人②

ーーそこに居ない人。

なくなってしまったぬいぐるみのことを考えていて、連想的に、ある時期によく見ていて、そして現在はパッタリと見なくなってしまったある人のことを思い出した。

140センチあるかないかの小柄な人だったので、その人のことは(失礼な表現だとは思うものの)「小男」と呼ばせて貰おう。
僕が隣町にあった日雇いの人夫出しで働いていた時期に、小男は同じく通いの人夫として毎日通っていた。

小男のことは人夫出しをやめてから長く見ることはなかったものの、十年振りくらいに見掛けてから、その後十年以上、断続的に(時には毎日のように)よく見かけるようになった。

人夫出しで一緒だったのは僕が高校卒業したての18、19歳の頃だったので、それは今からもう二十五年以上前で、久しぶりに見たのは人夫出しから十年ちょっと後、今から十五年以上前のことだ。

人夫出し当時小男とは話したことがないどころか声さえ聞いた覚えはなく、名前は確認いている筈だがそれも覚えて無いというような付き合いだ。
それでも、妻らしき女性と二人して実家の前にある坂道を自転車で勢いよく駆け下りていく小男の姿を見て一眼で分かった。

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人夫出しとは、肉体労働の現場に人夫を派遣する昔ながらの派遣会社のことだ。
しかし会社と人夫の間には継続的な契約などはない。人夫達はその日の仕事を貰うと様々な現場に行って肉体労働に精を出し、事務所に戻って日給を手にする。

タコ部屋住まいの連中は狭い相部屋と粗末な食事の分を天引きされた分を手にし、その中の多くが事務所の表通りにある酒屋に立ち飲みに行く。
彼らは仕事が無い日は稼ぎも無いのにタコ部屋と飯代だけを払うことになるにも関わらず、タバコが値上がりしたと文句を言いながらタバコを吸い、パチンコでいくら負けたと言いながら次の日にもパチンコでどうだったこうだったと話をする。

当然人夫出しにいるのは多くが社会のはみ出し者と言われる人間だ。
如何にも(元、或いは現役の)ヤクザだという人、フラフラと定職に就かず各地を放浪している人、当時十代の僕から見ても仕事の出来ない人、知的障害を持っていると思われる人。
タコ部屋住まいの身元確認もいい加減なものだったそうだから、指名手配中の逃亡犯だっていたかも知れない。

とは言え、そのようなところだからこそ他では見ることの出来ない人達がいて、印象深い人は少なくない。
中でも小男は極めて印象的な人物の一人だ。

小男はお世辞にも肉体労働に向いた体とは言え無いばかりか、当時で60をだいぶ過ぎているように見え、現場仕事をしているような連中とは明らかに毛色が違っていた。

若かった当時の僕には、小男は全く理解出来ない謎の存在だった。
驚かされたのはその仕事ぶりだ。
人夫出しでは殆ど毎日のように現場が変わることもあり、いい加減な働きぶりで手を抜く者も少なくなかった。
小男も手を抜いていたが、その手の抜き方は他とは全く違っていたのだ。

一度だけ、僕が半年近く通っていた水道屋で小男と同じ現場になったことがある。
そこは口煩い職人達が嫌で僕以外に誰も行きたがらない程のところだったにも関わらず、小男は自分が全力を出していないことを誤魔化そうとも隠そうともせず、それを指摘する職人の言葉を一切受け入れず、恥ずかしがって照れるでも自尊心を傷付けられて怒るでもなく、スコップを持ち、先っぽにほんの少しだけ土をすくって放り投げるという誰が見てもそれと分かる手抜き作業を黙々と続けた。

いつも口煩い職人達も、自分より歳上であまりに小さく弱い小男に強い事は言えなかったのだろう。
ある職人が僕に向かって顔をしかめて「あの爺さんいかんねえ」と言うので、僕は謂れのない申し訳なさでを感じてしまっていつにも増して働かなければならなかった。

小男について周囲から聞こえてくるのは「あの人は本当に働かない」と言う話ばかりだ。
仕事をサボっていることなど分からないように隠すのが普通だろう。
しかし小男は最初から決意の元に手を抜いていた。その手の抜き方は非常に生真面目で、強い意志が垣間見えた。

小男はまるで石のように心を閉ざしていたこともあり、当時の僕に小男の心情など分かる筈もなく、小男のことは軽蔑の対象でしかなかった。
しかし今思い返すと、小男の表情には、ほんの少しずつ、恥ずかしさや怒りや悲しみや、そう言ったものが浮かんでいたように思う。
これは僕の思い込みに過ぎないのだろうけれど、彼がなぜあのような態度を取っていたのかについては、今の僕にはよく分かる気がする。

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小男を再びよく見かけるようになった当初は、いつも自転車で妻君らしき大柄な女性を伴っていた。
それから数年で小男は一人になった。
そしていつしか徒歩になった。

これはいつ頃かは覚えていないが、一度小男が二階建ての住宅に入っていくところを見たことがあった。あれが小男の自宅なのだろう。
小男が一人がけのソファに座っているところをよく見た書店は、その自宅らしき建物から3キロくらいあるだろうか。

彼が歩む道のりには緩やかに長く続く坂道があり、その坂道の途中に僕の実家があった。
僕も実家を離れていたこともあり小男をしばらく見ないということはあったが、それでも一年は空けずに小男を見ていたと思う。
実家に住んでいた一時期は、小男の自宅からその書店までの道のりを行く彼を驚くほど頻繁に見かけていた。

小男がかなりの健脚の持ち主であることは間違いなかった。
しかし、ある時久しぶりに見ると、歩幅が随分と小さくなり、背中も随分と曲がってしまっていることに気付いた。

何かを切欠にして、急激に老け込むということがあるのだろうか?
思い切って声を掛けてみたこともあるが、僕を思い出したかどうか、少しおどおどするような小男らしい反応を示すだけだった。

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僕自身のことについていうと、夢見る十代だった人夫出しの頃からは随分と時間が経ち、小男を久し振りに見たのは夢破れた30歳の頃だった。
それから僕は次の夢のために行動したが、それから随分と経った今も抱いた夢には一歩も近付けていないと言う気がしている。

先のことを考えることも、昔のことを考えることも多くなった。
十代の僕に小男のことなど分かる筈が無かったし、分かろうとも思っていなかった。
しかし(「残念ながら」と言うべきか「喜ばしいことに」と言うべきかわからないが)今となっては小男のことがよく分かる気がする。

当時十代だった僕には無限とも思える体力があり、根性があり、今よりもずっと覚えがよかった。
素直でよく笑い、年上の人夫たちに可愛がられる素養もあった。

今の僕に残されているものはもう何もない。
疲れ易くなり、覚えは悪くなり、力は弱くはないが、腰も肩も肘も、あらゆる要所を痛めた経験があるし、次の日のことも考えれば全力を発揮することなど怖くて出来ない。
若い頃は純真無垢だったなどとは言わないが、無駄に知識と経験が増えたせいか、今では素直に人の話を受け入れられず、プライドも高くなって当然人に好かれもしない。

その点、僕もあの小男と殆ど変わりないようになってしまった。
だから、当時の小男の態度がよく分かる。

もし小男が持ち前の真面目さを仕事にも発揮して毎日懸命に働いていたとしたら、一月どころか一週間も保たずどこかしら怪我をしたり病気になったりで人夫出しに通うことは諦めざるを得なかっただろう。

あの卑屈な表情と態度から考えると、彼がどれだけ繕っても、日雇いの事務所の人間や同僚の人夫達、現場の雇い主達に受け入れられることはなかっただろう。

小男のあの態度は、自分と家族を、その生活を守るための、彼にとって最善の選択だったのだ。

僕はあの当時の小男よりもまだ20前後若いだろう。
それにも関わらず僕はあの小男と大して変わり無いと言う感じがしており、尚且つ、僕は小男のように身の程を分かった上で目的に忠実に我慢し、その態度を崩さないという風に生きることは(恐らくこれからも)出来ない。

その場その場で頑張ってみたりサボってみたり、或いは頑張っているように見せたりしながら、嫌になったらすぐに仕事をやめて「なんとかなるさ」と言い聞かすだろう。

若い頃には「俺には夢がある」と、他人との差別化をはかってなんとか生きてきたが、そのような言葉は既に思うことすら恥ずかしい歳になってしまった。
さりとて、小男のようにも生きられない。

小男のことは度々思い出しては、彼について考えるようになった。
あの人夫出しに通っていた当時は、他のどの時期よりも多く人生というものを学んだ気がする。

最後に小男を見たのはいつ頃だっただろううか?

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