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そこに無いモノ、そこに居ないヒト①

ーーそこに無いモノ

何かしら気にかかったことがあり、それについて何か書こうと思っていたもののいつの間にか忘れてしまってどうしても思い出せず「何か書こうと思ったのに」ということだけ覚えている、ということがたまにある。

「忘れてしまうくらいだから大したことではないのだろう」と気にしないことが殆どだが、中には「短編小説の一本でも書けるものだったかも知れない」などと気になって仕方がないこともある。

とはいえ、今回は発掘不可能のネタだったわけではなく、毎日通る近所のある場所に直接関係することだったこともあり、思い出せず気にかかった次の日には思い出すことができた。

以下に、近所の空き地を囲む格子状の柵にぶら下がっていた、薄いピンク色の小さなクマのぬいぐるみを見付けてから、しばらくしてそれが消えるまでに僕が感じた色々の雑感について書きたい。

今から2、3ヶ月ほど前のことだったろうと思うが、時期と期間については確かではない。
長い間毎日のように見ていた気もするし、見付けてから1ヶ月も経っていないと言われれば、確かにそのような気もする。
実際にどの位の期間であったかはともあれ、それはいつしか僕にとってそこに当たり前にあるモノになっていた。

見付けた瞬間に何と思ったかは覚えていないが、可愛らしいぬいぐるみの様子からすると、恐らく小学生か中学生か、或いは高校生か、女の子が落としたモノだろうと考えたことは覚えている。

ぬいぐるみには背中に安全ピンが付いており、カバンか何かに付けておいたそれが何かの拍子に外れてしまってそのまま気付かなかったのだろう。
その位の子が落としたのなら、通学路である可能性は低くない。
ぬいぐるみを見つけた人が落とし物と気付き、「毎日通る道だろうから」と考えてぶら下げておいたに違いない。
その行動を想像して微笑ましく思い、iPhoneを構えて写真を撮っておいた。

しかしその後、残念ながらぶら下げておいた誰かの思いは中々成就しなかった。
僕はそれから毎日家を出てぬいぐるみのぶら下がっているその道を通り、行きと帰りに毎日二回ずつぬいぐるみを見た。
まだあるな、今日もまだある。

その間に何度も雨が降った。
雨に濡れそぼつぬいぐるみの姿も見た。
段々と草臥れていっているようだ。

持って帰って洗ってやろうかとも思ったが、そこまでするのはおかしいだろうかとか、洗ってやったところで特に何が変わるだろう、とも思った。
結局はまた雨に降られ、薄汚れ、草臥れてていくのだ。

なぜだろう?
ここが通学路だとしたら、ぬいぐるみに気付かないことはあるまい。
ということは、通学路など、毎日通るようなところではなかったということだろうか。

こういう時にはTwitterの力を借りるべきなのだろうか?
小さな、古びたぬいぐるみのために? いや、さすがにそれはお節介だろう、などと毎日通る度に色々と考えるものの特に何か行動に移すことはなかった。

ぬいぐるみを見付けてからどのくらい経っただろうか?
ピンク色のくまはいつの間にか消えていた。
持ち主のところに戻ったのだと考えれば嬉しいことだが、そう考えるのは難しい気がした。

友達のところに遊びに行った時に落としたもののどこに落としたのか分からなくなり、再びその友達の家に遊びに行った時に再会したのかも知れない、などと都合よく考えてみるが、どうも納得出来ない。

或いは持ち主が発見したのではなく、僕と同じように毎日のようにぬいぐるみを見ていた誰かが何かの思いに駆り立てられて持ち帰ったのだろうか。
それとも、空き地の持ち主か誰かが捨てたのだろうか。

僕は毎日空き地の前を通り、その度に柵にぬいぐるみがないことを確認する。
毎日ぬいぐるみがないことを確認し、そして、やはり持ち帰って洗ってやれば良かったとか、そのまま家に置いておけば良かったかなどと考えて、そうして「いや持ち主が持って帰ったのかも知れないし」と、あるのかないのか分からない可能性について考えてみる。

もしかすると、誰かが見付けてぶら下げた時には、落としてから随分と時間が経っていたのかも知れない。柵の向こう側の草むらに落ちていたとすれば(それをその空き地の持ち主が見付けたとしたら)その可能性もないことはないだろう。

もしも落とした本人が、例えば、実家や祖父母の家などを訪ねる際にごくたまに通るその道を歩いていて、それを忘れてしまった頃に見付けたとしたらとても驚くだろうし、嬉しく思うだろう。

などと、ぬいぐるみがなくなってしまってもぬいぐるみとその行方についてどうにも気にかかってしまう。

そしてある時、このことを「noteに書いてみよう」と思った。
そのことを思い出してからは、どう書こうかと考えたが、特には思い浮かばず、ただ(そのままだが)「そこ無いモノ」というタイトルだけが浮かんだ。
そこに当たり前に在るモノだったのに、いつの間にかそうでは無くなっている。

僕は今、タイトル以外には何も考えず、ただその経緯とその時感じたことをダラダラと書いている。

ぬいぐるみを落とした子はどれだけ探したのだろうか?
もしかするとぬいぐるみは大事なモノではなかったのだろうか?
自分で買ったモノだったのだろうか?
それとも誰かにもらったモノだったのだろうか? 
それをくれた人とはどんな関係だったのだろうか?
その関係はぬいぐるみを落とす前後で何か変化があったのだろうか??

答えなど出る筈がないことは分かっているのに、色々と思いを巡らせ、思いあぐねてしまう。

少しだけ未来の僕は、恐らくあのぬいぐるみのことは思い出すことはなくなっているだろう。そうは思いながら、僕は今でも、あそこを通る度にぬいぐるみを思っている。

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