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結婚制度ってもうムリじゃない?

結婚ってなんだろうなって、
つくづく思う。

かつて私は夫が大好きだった。

その日、友だちの紹介で会った男性は、申し訳ないけれど外見も内面も全くタイプではなかった。
西麻布のレストランで2人で食事して、帰ろうと思ったら2軒目も予約されていた。
私が好きな焼酎が並んだ銀座のバーだった。お店にもお酒にも罪は無いし、私のことをリサーチして、好きそうなお店を予約しておいてくれた気持ちはありがたい。
だから、気は進まなかったけれど2軒目まで付き合った。

でも、いくら飲んでも美味しくない。
森伊蔵をロックでカパカパ空ける。
全く酔わない私の横で、少し呂律が回らなくなった相手が一生懸命こちらを覗き込んでは笑わせようとする。

やっぱり最初のお店で帰った方がむしろ失礼じゃなかったな…

その時、相手がおもむろに肩に手を回して来た。
ぞわっとする。
反射的にはたき落とそうとするのを堪えて、やんわりと腕を持って元の場所にお戻しする。

耐えられなかった。

「助けて先輩!
 紹介された人と飲んでるんだけど
 ちょっとムリなんです」

カウンターの下で無意識にメールを打った相手は、自分でも予期していなかった、今の夫だった。
まだLINEも無かった時代。
ガラケーはブラインドタッチですいすい打てた。

「すぐ行く!
 今どこ?」

「先輩」からはすぐに返信が来た。
仕事が忙しくて、1次会のスタートが22時。2次会の今、既に午前1時を回っていた。「先輩」の家は隣の県だった。まさか来てくれるとは思わなかった。

未明の道は空いていたに違いない。
30分ほどで店を出て、タクシーに乗ろうとしたら相手も乗り込みそうになったところを振り切って(「運転手さん、出してください!」ってやつをリアルにやったのはこれが最初で最後だ笑)数ブロック先で曲がって降りた。
そこに滑るように「先輩」の車が到着した。

「乗って!
 とにかく無事で良かった!」
「ありがとう…来てくれて…」

よりによってオープンカーだった。
酔った顔にほどよく当たる秋の夜風が気持ちいい。
さっきまであんなに嫌な気持ちだったのに、ふわふわした気分が止まらない。

なんで私、「先輩」にメールしたんだろ。

好きだと思ったことは無かった。
同じ職場で気が合って何度か飲みに行ったことはあった。
でもまさか自分がこのシチュエーションで助けを求めた相手が「先輩」とは…。

車は行き先も決めず湾岸線を飛ばして、やがてお台場にたどり着いた。
微妙な距離を保ちながら2人で砂浜を歩く。
他愛もない話をしていたけれど、安心したらふと酔いが回ってしまった。
けらけら笑いながらこともあろうに私は彼を夜の海にえいっと突き飛ばした。
不意打ちを喰らって波打ち際にバシャバシャとよろける「先輩」。

「あーっ!
 靴ん中砂だらけになったじゃん!」
「ぎゃはは!
 ごめんなさいーっ!」

いやほんと、ごめんなさいでしかないよ、今思い返すと…。
若いって強え。

どろどろになってしまった革靴をどうにかしないと、ということになり、私の一人暮らしの家に来ることになった。
若いと言ってもまあいい大人なので、当然そういう雰囲気にはなる。

「でもさ先輩!
 今そういうことしたら
 付き合うってことだよ?
 私もう、付き合わない人と
 遊んでるヒマはないからさ、年齢的に」
「わかってるよ!
 さんざんその話聞いてたよ、
 メシ行った時」
「…そうなんだ…」

翌朝には2人でドライブして富士山を見に行って、そこで結婚しようって話が決まった。

なんてロマンチックな…我ながら書いていてちょっと恥ずかしいくらいのエピソードである。
私たちは結婚と同時に家を建てた。
2階と1階にいる時はさびしくて、1分おきに名前を呼び合うような、笑っちゃうくらいの仲の良さだった。

…今も同じその家に住んでるんだけどね。そんな時があったなんて信じられない。

最初の3年間はそんな感じだった。お互いの生活は全く変わらず、好きな気持ちも衰えなかった。
結婚した直後に仕事の同志と話していて、

「その人と30年とか40年とか
 一緒にいるってことだよね?
 それ、大丈夫ってことなんだ?」

と聞いて来たのに対して

「40年しか一緒にいれないんでしょ?
 さびしいよね…」

と真剣に答えたのも覚えている。

それが変わったのは、
出産だった。

1人目の子は赤ちゃんから今に至るまで、モデルにならないか声がかかりっぱなしの容姿を備えていたが、それと引き換えになのかなんなのか、他の子の何百倍も育てにくい子だった。
授乳は片方の乳を7分、両乳で14分あげなさい、と授乳ケアのプロに教わった通り実践したものの、あげ終わった15分後にはおっぱいが欲しくてまた泣いた。それが一日中、昼も夜も続いた。
こんなにかわいがってこんなに一生懸命お世話しているのに、どうして泣いてるの?
離乳食も全部手作りだったし絵本の読み聞かせも毎日声が枯れるまでした。
ベビーカーに乗っている時は泣かないからお散歩には雨の日も風の日も必ず出かけた。
保育園の運動会では1人だけ泣いていて踊らなかったし、迎えに行くたびに「きょう、やなことがあったの」と友だちとのトラブルを報告して来た。

身も心もボロボロだった。

夫は休みの日はたくさん協力してくれたが、普段の働き方は全く変えず、夜ご飯に間に合うこともお迎えに行ってくれることもほぼ無かった。

そんな中、夫に求められた。
拒絶した。

体が戻っていないこと、
睡眠不足とストレスで
そんな気になれないこと、
授乳中はおっぱいは聖なるもの、
という認識に変わってしまっていて、
そこに性的な気持ちで触られることに
嫌悪感があったこと。
何より、
この間まで同じ職場で同じように働いていたのに、どうして私だけ隔絶されてこんなに制限された生活を送っているの?
という不公平感が不満の塊となってドロドロと心の底に溜まり始めていた。

それでも一年が経つ頃、再開を試みた。
まだ夫のことが好きだったし、断って来たことに罪悪感もあった。
何より、そういうことがしたいなら、私には相手は夫しかいなかった。

でも、全く気持ちよくなれなかった。

この時に初めて、夫のセックスが独りよがりで、自分のためのものだったことに気づいてしまった。

やんわりと、傷つけないように、
もっとこうして❤︎
とか、
焦らされるとどきどきしちゃうかも❤︎
とか、
もしくは手が自然に気持ちのいいところに当たるように自分で角度を変えてみるとか、
いろんなことを試してみたけれど、
夫は変わらなかった。

私の気持ちはどんどん冷めた。
つまり全てがその行為に象徴されているように感じてしまったのだ。

2人目は体外受精だった。
元々1人目も不妊治療で授かった子だった。

2人目が生まれると、さすがに、
夫は今までと同じ働き方で私が他を全てカバーする、というのは心身ともに不可能である、ということを訴えて、協議の結果、週に2回は夜ご飯までに帰ってくるという約束を取り付けた。

それでも、家事育児全般は私の方が圧倒的に負担していた。仕事内容は同じなのに、私だけ時短でみんなに頭を下げて先に帰り、スーパーで食材を買い込んで大きな荷物を提げて2人をピックアップしに行き、家に帰ると座る間もなく料理する。一緒に遊んでお風呂に入って絵本を読んで、そのあと洗濯や保育園の用意と仕事の残りを片付けた。翌朝は子ども達のお弁当を作って園に送り、電車に飛び乗って会社に行った。熱が出れば私が迎えに行って病院に連れて行き看病した。

なんでだっけ…?

いや、子どもはかわいいよ。最高に。めちゃくちゃ大変だけど。でもさ、なんで私ばっかりこれやってるんだっけ?
仕事、大変だったって言うけど、疲れたーって帰って来てあなたはお風呂にざぶんと入って寝転がって動画見て寝れるわけじゃん?
私は疲れて帰って来て、疲れたーって言う相手もいなくて座ることすらできなくて、ご飯からお風呂から全部自分で用意しないとゼロベースなんですけど。
仕事、大変だって言うけど、仕事って自分で管理できるよね?部下だって話せば通じるし頼めばやってくれるし、時間だって読めるよね?育児より仕事のが全然ラクだって。それは今現在も感じること。
仕事、めちゃくちゃ今大変だけど、大抵のことは「予測可能」だし、「対処可能」なのよ。

うちは夫婦の稼ぎは同等だ。
だからか、なおさらそう思ってしまう。
なんで私ばっかりいろいろ諦めなきゃいけないの?

なんでたまに仕事で遅くなるから子ども見てってお願いすると、
洗濯しといたよ
息子が泣いて大変だったよ
お風呂入れといたよ
って伝えてくるの?
ありがとうって言って欲しいの?
私それ、毎日誰からも感謝されずにやってるんですけど?
なんでたまに飲み会に行って、見てくれてありがとうって私言ってるんだろう。
夫はほぼ毎日、「部下のガス抜き」に行って未明に帰って来るのに?

次第に、私から「ありがとう」の言葉と気持ちが消えていった。
もちろんそんな相手を性的に見ることなんてできなくなって行った。

それでも悲しいことに、今のこの日本では、妻がセックスしたければ夫とするしかないとされている。
だから何度か意を決して声をかけてみた。
その度に、疲れた、とか、今度ね、とか。
元々相手に対して、めちゃくちゃやりたい!って思ってるわけでもないのに、ある種我慢して、遠慮がちに誘ってるのに、どうでもいい口実で断られた日にはもう、惨めで情けなくて悔しくて死にたくなった。

つーかなんなん?
なんで夫なんか誘わなきゃいけないわけ?
乗って来たところで気持ちよくなれそうもないのに。


そんなこんなで今がある。

一度、タツキさんに会う日の朝に、ウォークインクローゼットで下着姿のままその日着る洋服を探していたことがある。
タツキさんに会う日だからもちろん、かわいい下着に決まってる。

そこにたまたま夫が来て

「おっかっこいいね!
 写真撮っちゃお!」

と嬉しそうにスマホを構えた。

は?
かっこいいとか思うなら手、出せや。
写真って何よ?
私はオブジェかっ!

なんだかめちゃくちゃ頭に来て、やめてよ!って睨んでさっと服を着てしまった。

その話をタツキさんにしたら、

「でもさ、旦那さんにじゃあ
 そこで手を出されたとして
 それ、りんさん嬉しいの?」

って聞かれた。
結構ぐさっと来たというかハッとさせられたというか。

「そ…だよね…
 やだな、それは」
「でしょ?
 だったら気にしなくていいんじゃない?
 こうやってここで気持ちよくなろっ!」

と、悪魔の笑顔でとろとろにされたのである。

そう、もはや性的な意味では夫は不要。相手にとっても多分私は不要。
そして経済的にも私は自立しているし、むしろローンが終わっていないのは夫、貯金が足りないのも夫。
私は定年後も多分独立できるスキルがあるし、家事全般に不自由は無い。

…え?
じゃあ結婚続けてる意味ってなに?

もちろんまだ子どもが小さい。
目前には受験も迫っている。
教育費的にもダブルインカムの方が余裕があっていい。
キャンプや旅行なんかは家族で盛り上がるし、そういう意味では良きパートナーではある。

でもさ、愛ってどこ行っちゃったんだっけ?
なんか最近夫がフキハラしてるのを見るにつけ、一緒にいることの意味を考えてしまう。

そもそも、人生100年時代、1人の異性と添い遂げるなんてこと、ほぼ無理ゲーだと思うのだ。そんなに気持ち持たないって。
もうなんか、家族の単位は解消しなくていいから、外でお互い好きに発散しましょって言いたい。
その方が自然でしょ?
ちゃんと良い母も良いパートナーもやるからさ。
だからお互いそういうの自由に許し合おうよ。
ダメなのかなぁそういうの。
一夫一婦制なんて、どこから持ち込まれた価値観だか知らないけど、現状からは著しく乖離してるよねと思う。
そもそも、結婚制度自体がもう、実情にそぐわないのだと感じる。

ほんと、結婚ってなんだろう。
考えても意味ないんだけど、
考えちゃうとハマるよね…。

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