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このままクソおもんなく大人になって死んでいくのか

毎月2回、あかりんごの頭の中を徒然なるままに書き記すこのコーナー。今回は自己実現についてです。

今日は何もない1日だった

毎日そんな感じだ。可もなく不可もなく。

いや、どっちかと言えば不可がある日々だ

何もすることがなく、終わる日々だ

このままクソおもんなく大人になって

死んでいくのだろうか

何もないのに慣れたと思っていたけれど

何かになりたくて

何かになれなくて

今日も疲れたな


あなたは何のために生きているの?

人はなぜ生きているんだろうかと考えるのは人間だけだと思う。
悲しいかな人間の性。

なぜ生きていくのか。
生物学的には子孫を残すため。それ以下もそれ以上もない。


結局は化学物質の集まりである私たちの体に、世界を揺るがす意義はない。
その遺伝情報を子孫を伝えることこそが全てだ。

そして伝え続けるため新しい環境に適応し絶滅のリスクを減らすために生殖活動を行う。恋愛や結婚にも、これ以上の意味はない。

私たちは賢い脳を持ってしまったから、色々考える。

「私って何のために生きてるの?」

20年間生きてきた、今の私の結論は自己実現のために尽きる。

自己実現というとぼんやりしているなぁ。

自己実現とは
人間の欲求のうち最も高度であり,同時に最も人間的な欲求として,自己の内面的欲求を社会生活において実現すること。
出典:コトバンク

調べても、ぼんやりしているなぁ。

つまりは、こうなりたい、こんな自分になりたいと思って、それを実現することを自己実現というのかな。

当たり前だけど、これを本当に理解して上手く生きている人は意外に少ないと思う。


自己実現のために

地球に住む人は多すぎるし、人間は頭が良すぎる。

だから、社会の中で自分はどんな存在意義があるのだろうと不安になる。

それは本能なのではないかとも思う。
人間がサルの系統から独立しホモサピエンスへの道を歩み始めた頃から我々は集まって社会を形成し生活していた。

社会は、集団に必要な仕事(狩り、出産、子育て、警備)をそれぞれ所属するメンバーが担うことで回っていく。

逆に言えば、社会の中で役に立たない者は排除される危険がある。
だから、自分が社会の中でどこに属しているのか、何の役に立っているのかが分からなければ不安になる。

逆に社会のためになっていれば満たされるのかというと、残念ながらそうではない。

「ワタシ、何のために働いているんだろう」

ドラマや漫画でお馴染みのこの台詞は、フィクションに限ったことではないだろう。

職について、誰かの役に立ってお金をもらっているのになぜか満たされない。

全てはイマジネーションから始まる。

人は、基本的に何もない状態で生まれる。
(天皇家などは生まれた時から何者かではある)

私もそうだ

何もなかった

毎日ゲームとバイトで1日が終わっていた。
当時は受動的にすぎる毎日を忙しさで誤魔化しながら生きていた。

そこには私である必要はない私がいた。

アイデンティティなぞ無かった。

何かが欲しいなと思って出会ったのが畜産、そして狩猟の世界だった。

出会った当時も、そして今も私は狩猟や畜産という分野の服を着た私でしかない。私自身には何もない。

私が社会に対して「私はこういう人間で、社会のここらへんで役に立とうとしています」と言いたいがためだけの服。

だから、私は自己実現のためにこれらの分野を利用しているに過ぎないのかもしれない。

利用するという言葉に嫌悪を抱く人もいると思うから説明しておくが、利用するという言葉以外この文脈には相応しくない。(ここでは幸せになるために生きているという私の人生感を背景に語る)

自己実現の最終目標は自分の理想を社会的に実現することにある。起点と終点はどちらも自分。

ここを見誤ってはおかしなことになる。

私は狩猟や畜産そのもののために活動しているのではない。あくまで自分の理想を実現するために活動している。

「今」という島にいて、「理想」という離れ島に行くために、「畜産」という海に生じる波風を利用する。

こんな感じだろうか。

私が言いたいのは、これを畜産のため、誰かのためと目的対象を自分以外にしてしまうと、自分が幸せになるか否かを他者に依存することになるということ。

この考え方では目的のための活動が奉仕に代わり、御恩ばかりを追い求めてしまい、結局誰のための人生なのか分からなくなり

「ワタシ、何のために仕事してるんだろう」

と言ってしまう。

日本では自己犠牲が美談とされる。

自己犠牲が悪なのではない。
他人の幸せのためにやっていることでも、他人の幸せを願い活動することで幸せを感じる自分を常に意識しておかなければならないと私は思う。


自惚れるな、何かあると思うな

頑張っているが何か満たされないところがある。

この理由は、理想が高すぎることにあるのかもしれない。

自分には何もないことを自覚することから始める。

これは結構重要。

私が猟師さんにもらった言葉でとても好きなものがある

「100人に出会ったら、そのうちいい出会いは1人くらいしかいないよ」

先人の知識が蓄積し、失敗しにくい時代になっている。

SNSが流行し、みんなの成功ばかり目について「あれ、失敗してる人いないじゃん」となる。失敗が怖くなる。

人に迷惑をかけるのが嫌だと自粛し、自粛し自粛して動けない自分がいる。

1人の良き出会いをするには、当たって砕ける経験があって当たり前。

転んでもいいのだ。

転ぶ練習が必要なのだ。

まずは、受け身を習いに道場へ行こう。