「すいません」の美学

電車のブレーキで他の人にもたれかかる。
「すいません」と言う。

すいません、ということは博打だと思う。

腰を低く相手に接する。相手は選ぶことができる。低く垂れた頭をひと蹴りすることも、同じように腰を低くすることもできる。

そういった可能性も全て含めての
「すいません」

人間はヒト科ヒト属マウンティング種である。(冗談である。)

ヒトは社会を形成して集団行動により世界中に居住地を広げた。この社会の維持にはヒエラルキーが必須であり、このマウンティング能力は社会の中で上手くやるための本能だと私は考えている。

「すいません」と言っても相手が同じように譲歩の姿勢を見せてくれなかった時、損した気分になるのは何でだろう。

それはまさしく「すいません」と博打を打って負けたからだろうな。

プライド、申し訳ないと思う気持ち、口を動かすために消費したエネルギー...何かを賭けて、博打を打つ。

期待する見返りは人それぞれ。

毎日自分の気持ちを書いていると、なんだか文章が薄っぺらくなっていくな。

こんな文章で、すいません。



今日も良き生物活動を。