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お華やゴルフやテニスや将棋の本を読むと、上手くなるには、の技術指南が書いてあって、それはいいのだけど、

往々にして、精神的なものを説いてたりする。

曰く、どんな気持ちで将棋を指すのか、テニスをするのか、華に向かい合うのか、、対象への礼儀とか。

華を通して精神的に成長するとか、そんな事も書いてあったりする。

華やゴルフやテニスや将棋のルールや技術を書いてあったら、それで事足りるはずなんだけど、それも書いてあって、読む方も、その部分が好きだったりする。

そうなんだよね。

将棋がどんなに好きでも、藤井聡太や羽生善治にはなれないから。

どんなに練習してもなれないから。

技術の他に何かあって、それがないから自分はなれない、それがあれば、のそれは抽象的で曖昧で、届かないものなら、尚いい。

完璧な人格、のようなもの。

霊的なもの。


端的に言えば向き不向きに他ならないんだけど、向いてない、って容認出来ないから。

それに、楽しく華やゴルフやテニスや将棋をやれたら、本来それでいいんだし。

でも、なぜか、日本人は道が好き。

武士道をはじめとして、なんでも○○道。

ラーメン道だってあるからね。

ラーメンはラーメンで美味しくいただけばそれでいいのに。

オタク気質だよねーー(笑)

SMも、、魂の触れあいみたいな美しい言葉で語られる事がある。

2人の尊い関係性とかね。

アート作品にしてる作者も多いしなー。

私は、( ゚д゚)、ケッ

て思ってた。

自分が楽しいからやってるだけで、愛もクソもないしー、って。

やってるとなぜか、テンション上がってきて、脳が気持ちいい。身体に血が通ってスッキリした気持ちになる。

身体の諦めの弛緩と子宮の震えが連動して、達してしまう。

上記、相手の動きと身体のどこに集中するかで、色々変わる。

楽しいしかない。

でも、一般的に楽しいとは違うかもしれない。痛みが伴うから。

痛みがあってのSMだし、娯楽だし。

でも、時々、相手との攻防戦で、相手を持っていきそうになる。

持っていく感覚は、普段は無意識で分からないのだけど、たまに、

あ、、持っていく、

相手の魂をちぎってしまう!と思う事がある。

ある縛り手さんは、戦いと表現する事もある。

精神的な文学的な、、、何かしら道が見える事もある。


まぁ、多分、脳汁プッシューの効能なんだろうけど。

華道もゴルフもテニスも将棋も、ZONEに入るって、表現使う事あると思うけど、なぜか、SMも、、なんだよね。

受け手が入る入らないとも違う。

もっと周りが澄んでキラキラなんだよ。

縛り手さんも、そうなるらしい。

○○道の端くれにSM道もあるとしたら(笑)は○○道の方だろ?と思う。

SM好きなのと同じなんだから。

そこまで集中できるほど、そこまで脳汁出せるほど、それが好きという事なんだから。



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