2024/03/14 日記

13日の昼の便で新拠点地に降り立ち、キャリーケースを引き摺ったまま区役所に出向いた。
戸籍上もこれで完全に兵庫県民だ。

既にホームシックにかかっている。
この1年は特に、育休中の姉と姪と過ごした時間が長く、空港でのお別れ時に、姉に促されて「バイバイだよー」と何も分からずに手を振らされている姪の姿を見て、号泣してしまった。

区役所の横にも、新居に向かう途中にも、広い公園があり、また少し歩くと小学校もあるせいか、子供連れの家族とたくさんすれ違い、見る度に姉家族を思い出しては泣いてしまう。完全に不審者だ。

しかしここ数日、慌ただしく時間が過ぎていっていた。ひと段落ついた一昨日からどっと寂寥の念が溢れてきた。

土曜に最後のアルバイトを終え、月曜の朝イチで引っ越し業者による荷積みが予定されていたものだから、日曜のうちに全てを終わらせるぞ!と意気込んで日曜は昼に起きた。

とはいえ今まで2回引越しを行っているのだから、感覚的に一日でどうにかこうにかできる確信はあった。特に色んなものを今回は捨てていこうと決意していたし、荷降ろししていない段ボールもいくつかあったから余裕だろうと思っていた。

あっという間に夕方になっていた。金鯱賞でハヤヤッコに賭けてみたら、賭けておきながら何だけれども思ったより伸びて感動した。競馬中継みてる場合じゃなかったのに。

日曜の夜はバイト先の歓送会で、店をどうするかと悩む塾長に私が焼き鳥食べたいと申し出て、そのまま店が決定した手前、私が休む訳にもいかない。
1次会で帰る気満々だったし、家は荒れていたけれど何をどうするかの見通しは立てていたので最悪徹夜すれば朝8時には間に合うと楽観視して飲み会に向かった。

歩くしか手段を持たない交通弱者であるため、30分ほどいつも通らない道を通りつつ店へと向かった。
若干遅刻の気配があったので急ぎ気味に。結局5分ほど遅れたが無事に着席。
お通しのアボカドとマグロのユッケのようなものがとても美味しかった。それ以外の料理もとても美味しく、最後に釜飯が出てくるのだが、別添えでいくらが置かれ、同席の子がいくら苦手だからと独占出来て多幸感に包まれていた。

その後塾長は代行で帰り、残ったバイトメンバーだけで二次会に行くかどうするかの瀬戸際でとりあえず歩いて駅まで向かった。駅改札横のトイレに立ち寄ってから、反対側の出口に移動し二次会の打ち合わせが始まる。
もう少しお酒を飲んでもいいかなという気分と、カラオケには断固として行きたくない気持ちの表れとで若い子を振り回してしまった。その場近くの別の焼き鳥屋に掛け合ってみたもののもうラストオーダーがかかるということで、飲み直しは諦め、みなカラオケに行くと言うので私は退散した。
駅から自宅までの徒歩の間を、ハヤヤッコのことを検索しながら友人にハヤヤッコ可愛いとLINEを送っていた。ほろ酔い浮かれ気分でハヤヤッコを調べたことは鮮明に覚えている。

自宅に着き、さて荷造りやらんとなと鞄に手をかけたとき、何も掴めなかった。あるはずの鍵がなかった。
その日使っていた鞄にはポケットが5箇所ある。
側面の小さいところが左右で2箇所、正面のイラストが入っている部分が1箇所、内側に1箇所の中に更にファスナー付きポケットが1箇所。
全て浚った。ない。目視で確認もした。ない。
コートのポケット。ない。スマホや財布の内側。ない。

夜中に大捜索が始まる。
とはいえ街灯もろくに無い田舎で、暗闇を探すことになったのだが、家の周辺はひとまずは何も無かった。
帰りに来た道を辿りながら、目を凝らして鍵を探す。記憶が無いというレベルまで酔っていたわけではないが、単調な帰り道にハヤヤッコについて調べながらぼーっと歩いていたので広めの道路はどっち車線側の歩道を歩いていたかなどははっきりとは覚えておらず、無意識を恥じた。

見たところの歩道には鍵は確認されず、駅近くまで戻っていた。
ほんの一瞬、席の確認のためだけ入口に立ち寄った店にも念の為伺い、この辺に鍵落ちてませんでしたよね、と締め作業中のおじさんたちの手を煩わせてしまった。

記憶の限りでは正面についている上側が空いているポケットに鍵を入れていた。上側が空いているとはいえ、今までに落としたことはなく、よほど鞄をぶん回したとかコケたとかでない限り落ちることはないように思える。
そのため、鞄の受け渡しや財布の取り出しといった鞄に動作が加わっていた飲み屋で落としたか、1度鞄を身から離したという意味では駅のトイレにあるのでは無いかという線を疑っていた。そうであってほしかった。
行きも帰りもイヤホンをしながら歩いていて、ポケットからスマホなどを取り出した際に一緒に持ち上がって落ちていたとしても、気が付かないだろう。そうなると路上全てを疑う必要が出てくるため、どこかの施設にあってほしかった。

鍵をなくしたことに気が付いてすぐ、飲み屋に電話はしていた。しかし現時点で忘れ物落し物は見つかっておらず、再度探して見つかったら連絡するとの話はついていた。
駅には直通の電話がなかった。JRはJR東日本で一括のお問い合わせ窓口になっており、尚且つ落し物センターのお問い合わせ窓口は営業時間外だった。
秋田駅に直接連絡する方法はなかった。

逆順に辿っているため、先に駅のトイレに着いた。トイレ内には見当たらず、諦めて改札に向かい、改札内落し物係に話を聞くも鍵は届いていないとのこと。

一縷の期待をかけて、本命の飲み屋にも一応訪れてみたが、やはりない。私の目の前でも、我々が飲んでいた席付近を、残っていた従業員さんたちが確認してくれた。なかった。


絶望に暮れた。

姉が駆けつけてくれて、車で駅の交番にも立ち寄ることにした。
交番にも鍵は届いておらず、遺失物届けを書くことに。鍵の特徴を聞かれ、東海林太郎が付いていますというと二度聞きされた。
今回鍵を探している話をした店や窓口全てに「東海林太郎が付いています」と言ったが、付いているものは付いているのだ。

秋田市ご当地ガチャの東海林太郎

不動産屋の24時間対応サポートに電話してみたが、鍵業者の手配は朝にならないとできないと言われてしまった。
自力でも24時間対応の鍵関係の受付をやっている業者を探したが、軒並み「秋田県は対応範囲外」と言われ24時間営業どこでも駆けつけますの文言消せよと思ってしまった。秋田 鍵トラブル 24時間対応 で検索に現れないで欲しい。

日付もとうに超えていて疲労もあり、とりあえず実家に泊まらせてもらって、眠りについた。
朝6時に起きて、再び自宅から明るくなった外の道を辿ることにした。

今一度家周辺をみて、前の夜には帰ってきた道を逆走してきたため今度は行った道そのまま辿ることにし、歩道も両サイド確認することにした。
施設内に落ちていなければ、飲み屋に行く道すがらではないかと思っていた。急いで歩いていたから多少の上下運動もあったし頻繁に時間確認と連絡のためにスマホを出し入れしていた。その拍子に……と思ったが、東海林太郎は居なかった。

問題は引越しである。

引越しの予定時間は8:00。
お問い合わせ窓口受付開始が9:00。
せっかく来ていただいてもちょっと今部屋入れないんすわ……というのも申し訳なく、どうにか繋がってくれないかとダメ元で7:00前に支社に問い合わせる。

なんと、繋がった。
昨夜から鍵をなくしており、8:00には間に合わないこと。鍵業者も早くても9:00に開くのでそこから更に連絡を待たないとならないこと。
伝えると、「では再度調整いたしますのでまた連絡します」との返事。助かった。ありがとう。

8:00に電話が鳴った。
「今ご自宅の方に到着しているんですけど、ご在宅していますか?」

朝の電話はなんだったんだ。
一応支社の方にも伝えてはいるけれど、と前置きをし同じ説明を繰り返した。そして同じ返答が返ってきた。
ごめんなさい。手間取らせてごめんなさい。でも半分は、いや1/3は支社も悪いと思います。

引越しの現場の方々にも1度引き上げていただき、私は途方に暮れていた。
鍵が見つからないと、鍵交換費がかかる。
引越しのアレコレに際して余計な出費は抑えたかっただけに、こんな退去前日に鍵を無くすなんてあまりにもアホだ。
しかし見つからず、業者からの連絡を待つにもどこで待ったらいいのかという半端な時間に、とぼとぼと姉の家の方に向かって歩き出していた。
その途中で不動産屋から電話があり、不動産屋の方でスペアキーもっていたからそれ使って入ってくれとのこと。
途中で力尽き、まだパジャマ姿の姪を引き連れて姉が私を回収しに来た。

不動産屋の開店と同時に乗り込んで、鍵を開けた。
引越し業者には、鍵をなくしたとしか伝えていないが、鍵が見つかったところでまだ荷詰めは終わっていない問題があった。
荷詰め終わる頃に鍵が開きましたと業者に連絡するかあ、なんて適当言ってたら鍵開けてすぐ引越し業者から電話がきた。見られているかと思った。
2軒目に行く予定だったお宅に先に行き、その後寄ってくれるとの調整内容だった。
慌てて荷詰めを始める。
衣類なんかも本当は詰めながら要る物要らないもの選別しようと思っていたのに、なりふり構っていられなくなった。片っ端から詰める。それだけだ。

軽い寝不足と焦りで、何をどの箱に詰めたのかも書き忘れた。当面のものとしてキャリーケースに詰めた内容は、トップスだけやたら入っているくせにパンツやタイツ、靴下、ボトムスといった下半身を構成する衣類がほぼ0だった。
飲み会に行ったときに履いていたスカートを1週間着続けることになったのだ。
タイツもすぐに尽き、しまむらへと赴いたが季節の変わり目かタイツの取り扱いがあまりにもなくなっていた。フェイクタイツがあるかないかくらいで、3つで700円くらいのタイツ群がまるで売っていなかった。しまむらで売ってなければどこで売るのだ。

どうにかこうにか荷詰めを終え、引越し業者さんに回収してもらい、捨てるべきものを姉の車に積んでゴミの自己搬入に回す。
最後の清掃も終えて、この部屋ってこんなに広かったんだなと思う暇もなく疲弊しきっていた。部屋の写真を撮るのも忘れた。

夜は姉一家と焼肉きんぐで食べ放題焼肉をしてきた。
まだ1歳なったばかりの姪との外食はてんやわんやの大騒ぎ。
県内の中学の卒業式後最初の平日だったからか、クラス会のような中学生団体がちらほらいた。みな多分開店と同時に入って帰ったか二次会に行ったかだろう。

実家が建て替えをしている関係で、一時的に婆ちゃんが施設に入居している。
母親にしてみればつかの間の介護休息期間である。そのため、父親と2人で温泉旅行に行く計画を立てていた。
しかし、本来の予定日前に婆ちゃんが施設でコロナの陽性反応を出した。軽度なため入院も出来ず、さりとて施設に帰ることも出来ず、結局母親が引き受けることになり、温泉旅行が延期された。
その延期日と私がアパートを退去して放蕩する日々とが重なってしまった。
そのため両親が仮住まいとするアパートに、両親不在で泊まることになった。

その夜は、姉も泊まった。姪と共に。姉と過ごす実質最後の夜である。
普段寝るのに駄々をこねる姪の横で、私が横になってみたら同じ目線になるのが面白かったのか、姪は静かに寝そべった。そして、私を寝かしつけるかのごとく私の手をとり、気がつけば姪が入眠していた。あの小さな手の温かさが、今も残っている。

昔は同じ部屋で姉と並んで寝ていたのに、当面もう最後かと思うと、涙が零れてしまう。必死に漏れそうになる嗚咽を抑えて、私も眠りについた。

朝、慌ただしい目覚めとなった。
焼肉のあと自宅に戻り1人でいた義兄から、朝早く電話が来ていたのだ。

車の鍵をなくしたという。

リフレインである。


1日を秋田で過ごすのはその日が最後だった。
数日前に行なった雇い入れ健診で、漏れがあったという連絡を受け、幸いに漏れのあった検査はすぐに終わるものであったので、午前に出向きそのまま検査結果を受け取った。
視力が1.5、1.5で両目とも相変わらず良かった。視力の良さだけが誇りである。看護師さんからも「最高です!」の声をいただいた。
自己搬入のゴミを運ぶため、姉と合流するにあたり、搬入先に行きやすい場所まで出向こうと歩き始めたら雨がざんざと降ってきて途中のアパートの軒下で雨宿りをした。

午後からは施設にいる祖母に会う予定だった。
事前に母が施設長に連絡をしていて、許可は得ていたはずだった。
行くといつもよりも重々しい雰囲気でスタッフさんたちが慌しく働いていた。
面会を求めると、クラスター発生中のため面会は出来ないと言われてしまった。施設長さんは不在だった。

そのクラスターが祖母由来のものであれば、よりによってお前らがなにをのこのこ面会に、とすら思われても仕方がない。
とりあえず、母からもらっていた事務連絡伝言と、姪の1歳記念の写真アルバムをスタッフさんに託して、祖母に会うことなく帰った。
歳も歳で、次に会えるのがいつかも分からないまま、祖母との別れが終わってしまい、泣いてしまった。会っていても泣いていたと思う。

その後リサイクルショップに服や本を売りに行った。
本も選別をかける予定だったものの、焦って荷詰めをしていたので結局ほぼもってきている。三秋縋の本は売ってしまったが、入間人間の本は売る気にはなれなかった。

こうして移動の後処理で日中の作業を終え、日が暮れる。刻一刻と、秋田を去るときが近付く。次第に実感も膨れ上がり寂しさに押しつぶされそうになる。

最後にどうしても永楽の蓮根海老しんじょうが食べたくて、予約も取れなかったものの、諦めきれず開店と共に当日空き待ちの連絡をし、どうにか入れることになった。
そのためにど平日の年度末繁忙期の友人に付き合ってもらった。待機の間、近くの町中華で一杯やっていた。餃子と老酒、いい組み合わせだった。

21:00前に呼び出しの電話が来て案外早かったと思ったものの、盛況につき定番と呼べるようなメニューはほぼ品切れであった。
蓮根海老しんじょうもなかった。
珍しいメニューでカニがあった。

かに

カニをひたすら剥くのに時間がかかり、案外食べなくてもお腹は膨れた。かに、おいしすぎ。
カニ味噌と日本酒の組み合わせは最高にマッチした。

隣の席の人らがカレーやチャーハンを頼んでいて、アテ以外のガッツリしたメニューを頼んだことなかったのでとても美味しそうにみえた。主食メニューを眺めたら既に冷やし中華が並んでいた。

前日と変わり、誰もいないアパートに帰ってきた。それだけで静けさに打ちひしがれていたが、1人であったのがかえって良かったのかもしれない。気持ちを整理出来て。


全然整理なんてつかないまま、姉が迎えに来て出立の時間が来た。
途中イオンに立ち寄り、姪が気に入っている木の滑り台でひとしきり遊んでからサイゼリヤで昼食をとった。サイゼリヤで両親と合流した。
やや急ぎ気味にサイゼリヤを食した。ラムのグリルを初めて食べたが、ライスによく合った。

空港についてからは引越しの開封を手伝ってくれる知り合いに渡すビールを買って早々に保安検査に向かった。振り返れなかった。
以前の空港は保安検査後も外とガラス越しに会えたようなイメージが残っているが、リニューアルしてからはほぼ隔絶していた。会ったら確実に泣くから、良かったのかもしれないと既に目に涙を堪えながら待合椅子に座っていた。
しかし、わずかながら端っこだけは向こうが見える部分が残っており、お名残りフォンもついていた。もう帰っただろうか、と思いながら逆方向の端に立ち寄ったら、みな見送りに立っていた。ダメだった。
わけもわかってなさそうな顔で手を振る姪。
両親の顔も姉の顔もまともにみれなかった。
お名残りフォンを手に取ることも出来ず、私は手を振ってその場から離れてしまった。
とめどなく涙が溢れてしまった。
搭乗してもなお、泣き続けてしまい、見かねたCAさんがポケットティッシュをくれた。少し恥ずかしかった。

伊丹空港に着き、その足で区役所にまで赴いた。
名実ともに兵庫県民だ。

新居の鍵を受けとり、大きな荷物だけ置く。
まだガスが開通していないため、快活CLUBに一晩世話になった。松屋を見かけて思いがけず都会を感じ、テンションを上げてしまった。テイクアウトで快活CLUBに持ち込んだ。

女性専用ブースがあるのが非常にありがたかった。
シャワーを浴び、一晩快適に過ごし、朝の美味しいトーストまでいただいた。

9-12時の指定でガス開栓立ち会いがあったのでだだっ広い部屋にぽつんと座り込む。
実に天気がいい。厚手のコートと黒タイツを着込むのがアホらしくなる。
こんなにも気候は変わるのかと改めて日本の細長さに驚嘆する。

夕方に引越しの荷降ろしが来るので、しばし近所を散歩がてら免許更新とホームセンターに向かった。
川沿いを歩いたところ、目に入ったのはとても良い光景だった。

荷が来る前にカーペットを敷こうと見に行くも、何がいいか決めかねて、急いで三ノ宮まで行きニトリまで見回ってまだ決めかねていた。

ただ15:00から引越し業者が来るというので、諦めてすぐ戻った。

15:00になっても業者は来なかった。15:00-18:00というのは作業時間ではなく到着時間だったようだ。
16:00頃に連絡があり、17:30頃に着くとみられるとのことで、再び最初のホームセンターに行くも、途中で電話が来て17:00に着くという話になった。慌てて帰る。

ドタバタの引越しもこれにて終了かと思いきや、最後の最後に自転車が届いてないことに気がつく。
最寄り支社に置いてこられたらしい。
次のお客さんのあとに再び寄ることでなんとかなった。

それに、敷地内の自転車置き場の鍵があかない。
不動産屋に確かめるも、管理会社と不動産屋が別であり、管理会社の方の担当が休みであったために分からずしまい。

最後までてんやわんやの引越しであった。


15日
急に秋田中央警察署から電話があり、鍵が見つかった!!!!!!

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