寂しさについて
『異人たち』を見た。
寂しさを、初めて、単体で理解した。
それまでは、
たとえば誰かが死んで悲しい&寂しい、
子供の時に、数日間、親と離れて寂しい、など、
悲しいとセットであったり、一時的なものとして、沸いては消えるものであった。
こんなに確固とした寂しさがあるなんて、気づかなかった。
孤独、ともちがう。
このようなときの孤独は、集団と比較して、だれかは和気あいあいとたのしく、
それに比べて私は孤独で物悲しい、というような、
だれもわかっちゃくれない。といった感じと思っている。
寂しいは、だれもかれもが幸せで、
お互いを想い、それによって心が満たされていても、
それでも、離れることがある、ということだ。
ひとに受け入れられていた、という前提がある。
親友が引っ越してしまい、寂しい、ということもあるなかで、
この映画で見た寂しいは、あまりにも大きなもので、そんな感情、あるんだ。と思った。
なぜ、このような結末を、とも思うけど、実際も、そういうものかもしれない。
わかりやすいハッピーとはちがうけど、主人公は相手を見て、受け入れ、与えるようになった。
ありのままの自分が受け入れられた、のびのびとした気持ちと、
それが、過去の夕日として思い出されているような感じとして、
じわじわと胸にひろがりつづけている。