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霧の向こうに消えた半年

【文字数:約2,000文字】

 2024年の始まりは石川・能登地方の地震があり、災害救助に向かおうとした航空機が羽田空港で衝突、炎上する事故があった。

 あれから気づけば半年が経ち、2024年の前半に何をしていたかと自然に考えざるをえず、さりとて特筆するべき出来事が思い浮かばない。

 半年あれば0から始めた趣味や習い事も、おおよそ自分への得手と不得手が分かってきて、1~2ヶ月あたりで辞めて別のことを始めていたり、あるいは楽しさに目覚めているような。

 英語のリスニングは通勤中などに続けており、なんとなく前より英語が聴き取りやすくなった気はする。同時に書くのも身近になり、手癖で「so fun, your my best.」などと綴ったりした。

 とはいえ、義務教育を受けながら過去にTOEICで300点台を取るような人間である。会社の経費でもって受験した手前、せめて高校レベルの500点を取ってくれと、はるか昔に人事担当者は目で訴えていた。


 興味がないことは続かない、覚えない、視界に入らない、の「3ない運動」がセミオートで起動しているためか、私のnote記事を読んでいても制作に関することばかりで、うっかり読んだ人はさぞつまらないだろう。

 でもまぁ仕方がない。

 友人から何度かバスケ観戦に誘われても精神が不調で断っており、その理由の5割超を占める制作を忘れることは不可能で、つまり眠るために運動したら目が覚めてしまう悪循環なのだ。

 他に熱中できることが皆無ではないけれど、バイクを走らせていても頭の片隅では「どないすんねん、ワレ!」と内なる野蛮人が暴れている。だから楽しくない。ボクは感情を失った、なんて片目を押さえながら話すのは卒業したはずなのだけど。

 さすがにそれは誇張した表現であり、ボケちらかせるだけ、まだ余裕があるのかもしれない。


 半年の間に記憶があまりない闇の1ヶ月があって、どうにかそこから足を引きずり出し、推敲ver.2に向けた制作メモを書いている。つまり本文は1文字も進んでいない。進んでいないのだ。どうでもいいけど「進め! 電波少年」という番組があった。

 推敲ver.1は2/3くらい直したあたりで、「これ何かおかしいんちゃう?」というツッコミが無視できなくなり、今や虫の息で制作メモを書いている。虫の呼吸とかあったら、たぶん誰も会得しないだろうな。

 そうして紙とペン時々PCを使った結果、テーマは共通していても描き方は180度ちがいそうなものになった。俺の後ろに立つな by ゴルゴ13

 原因としてはテーマの1つにした、VTuberというか配信者の実態を調べるほどナゾ、というのに尽きる。

 ゴリゴリに収入を得る手段としている人もいれば、ウワサに聞く収益化とは何か、という人もいて意識の差がえげつなく、某・事務所に名を連ねる専業の人とか修羅の道だよなと。

 いくつか参考になりそうな作品を見つけたものの、近年の流行りらしいヒロイン2人のライトノベルで、私の目指すものとは毛色が違った。

 私が書きたいのはコメディを添えた悲劇で、そのままだと誰も楽しめないから良い話にしようとする。読まれないものに価値がないとは言わないけれど、何かしらの賞に投稿するつもりならゴマをする、もとい近付くのは必要なことだ。

 そして誰もいなくなった、みたいな全滅エンドは私からすると楽だし楽しい。でもいちおう現代ドラマの分類になるだろうから、死んだようで死んでないゾンビ精神を発揮してもらう。

 こういう穴しかないドーナッツ概念みたいな文章は、それこそ呼吸するように書けてしまう。虫の息だから虫柱になる日が近いのだろうか。たぶんそれ庭とかにある「〇〇の墓」やぞ。ちなみにガリガリ君の棒が使われる確率が高い(個人の感想です)


 半年に渡って何をやってきたのだろうか、と落ち込むのは簡単だし個人用の日記に書いて、いつか海に捨てる的な覚悟をしようと思っていた。

 ただ、そうすると数ヶ月後にnoteを読み返してダメージをくらうだろうから、どうせ痛いのなら先に済ませておこうかと。そういえば最近、アゴが痛くてほぼ動かせない状態になった。今も少し変な音がする。

 金にならない制作なんて諦めて副業したほうがいい。たぶん人生を物質的に豊かにしたいなら正解に違いなく、受け取れるか分からない年金を受け取る頃になって「やっておけばよかった」と後悔するのだ。でもそれは間違った後悔ではない。

 残念ながら将来の展望がまるごと消える可能性を秘めた肉体なもので、だったら何をやってもムダだと悟り世代になるのをこらえ、ひたすら制作に執着することで不安を考えないようにしている。

 すまない、それはウソだ。

 興味がないことは続かない、覚えない、視界に入らない、の「3ない運動」がセミオートで起動している人間には今現在しかない。つまり虫などの本能で生きている動物と同じである。



なかまに なりたそうに こちらをみている! なかまにしますか?