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横田滋さん追悼番組、書き起こし(終わりに)

~終わりに~

横田滋さんの葬儀は、今月8日、川崎市の教会で営まれました。翌9日、妻の早紀江さんは、息子の拓也さんと哲也さんと共に記者会見に臨みました。

「主人の滋が、だんだん衰弱いたしまして、5日に永眠いたしました。
何にももう、思い残すことがないほど、全身全霊打ち込んで、主人は頑張ったと思っています。
本当に安らかに、本当に静かないい顔で、天国に引き上げられましたことを、本当にわたしは良かったなと思っております。ありがとうございました」。

そして、40年以上にわたり、めぐみさん救出のために共に闘ってきた夫の滋さんを、早紀江さんはこう振り返りました。

「本当に主人は朴訥な人で、器用な方(かた)ではなかったんですけれども、本当にそのような中で、自分の全身全霊を打ち込んで、本当にまっすぐに正直に、頑張れるところまでは頑張ろうという、ものすごい頑張りが強い人でしたので、病床でももう絶対に愚痴も言わないし、弱音も吐かない。本当に強い人だったなぁって思います」。

早紀江さんは、滋さんへの恩返しという思いで、毎日病院に通っては、少しでも血流が良くなるように体をマッサージしたといいます。
最近では、新型コロナウイルスの影響で家族も面会ができず、早紀江さんは、家のベランダに咲いたバラをスケッチして、短い手紙を添えて、毎日病院に届けていました。

息子の拓也さんは、かつて滋さんにこんなことを言ったといいます。

「全国1400回以上の全国行脚を続けていて、父が書いていた手書きの手帳を見た時に、
 『姉に再会する前に自分の体を壊して、会える時になって会えないことがあったら一番いけないから、やはり例えば週に1回、予定をお受けしないとか、この月は神奈川県から出ないとか…そういうふうなことを自分で決めないと、体壊しちゃうよ』って。『そうしなきゃダメだ』ということを、何回も言ったことがありますが『それはできない』と『行くんだ』と、何回も言っていたんですね。
 だから本当に『自分の命削ってでも行くことを決めていたんだな』っていうのは、いつも思っていました」。

拓也さんは、会見で力を込めてこう呼びかけました。

「父は、めぐみの写真を撮ることがとても大好きでしたから、よく報道でもその過去の写真を使っていたことが多いわけですが、本当によく言われるように『目の中に入れても痛くない』それほど可愛がっていた姉と、どれだけ会いたかっただろうと思うと、本当に悔しくて悔しくて仕方がありません。
 わたし個人は本当に北朝鮮が憎くてなりません。許すことができない。
どうしてこれほどひどい人権侵害を平気で行い続けることができるのかということを、不思議でなりません。
 国際社会がもっと、北朝鮮に強い制裁を課して、この問題解決を図ることを期待したいと思います」。

弟の哲也さんは、声を震わせながらこう訴えました。

「父が果たせなかったその思いを、意思を、わたしたちが受け継いで、結果を出すことこそが、そして墓前で『帰ってきたよ』と報告することこそが、残された者の使命だと思っております。
 また、一番悪いのは北朝鮮であることは間違いないわけでありますが、この拉致問題(が)解決しないことに対して、あるジャーナリストや、メディアの方なんかが『安倍総理は何をやっているんだ』というようなことをおっしゃる方もいます。
 安倍総理、安倍政権が問題なのではなく、40年以上も、何もしてこなかった政治家や『北朝鮮なんて拉致なんかしてる筈ないでしょ』と言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍総理、安倍政権が苦しんでいるんです。

 なので、何もやってないかたが政権批判するのは卑怯だと思います。
 この国内に敵も味方もないはずです。
『日本対北朝鮮』『加害者と被害者』の構図しかないわけなので、是非これからもご協力をいただきながら、解決をしていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」。


めぐみさんが拉致されてから、今年で43年になります。
今年2月には、有本恵子さんの母、嘉代子さんもこの世を去りました。
拉致被害者家族の言葉を、わたしたちはもう一度真剣に受け止めなければならない、そう思いました。

横田滋さんーー
いつも穏やかな笑顔で、炎天下の日も、寒空の下でも、通りすがる人たちに署名を呼びかけ、腰を低くして頭を下げていた姿が忘れられません。

心からありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

ニッポン放送報道部 宮崎裕子でした。 

<書き起こしここまで>

まずはここまで、アップロードいたします。
後ほど、こちらにコメントを残します。
(別の記事に分けることにしました)。

※ 6月20日午前0時46分追記。
今読んでいて、いくつかの間違いを見つけました。
明日、体調が戻り次第、訂正いたします。
すぐにできなくてごめんなさい。
※※ 6月20日19時14分 誤記を訂正しました。

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