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母乳育児とへその緒の話

生後(=産後)9ヶ月を過ぎたころだろうか、ふとした拍子に
「あ、へその緒が切れてる」
と思った。もちろん、物理的なへその緒は生後2週間も経たないころに取れているので精神的な比喩表現としての話。お腹から出て勝手にウゴウゴしている赤ちゃんだったが、どこか赤ちゃんが自分の体の延長線上に存在しているように感じていた。まるでへその緒がまだ繋がっているかのような感覚。それがある日プツリと切れて、自分の体が完全に自分に返却された。赤ちゃんに体を乗っ取られてからへその緒が切れて体が返却されるまで、月齢と赤ちゃんとの心理的な距離感、そして私の体の変化について振り返ってみる。

◆妊娠中ー私は胎児を包む器

妊娠中は24時間お腹の中にいるので心身ともにまさに一心同体ゼロ距離。妊娠が確定した日は、食事制限が始まった日であり、私の体が私のものではなくなった日だった。
胎動を感じるまでは本当にここにいるのかと不安で仕方なかったし、胎動を感じるようになってしばらくは自分の中に自分の意図しない動きをする違和感に心がついていかなかった。お腹が大きくなって体の不具合が増えていくにつれ、自分の体は自分の手からどんどん離れていく。私の体は私のものではなく、胎児を包む器にすり替わった。胎動は愛おしいと思えるようになったけど、それとは別にアイデンティティの喪失みたいな不安定さから抜けられなくてずっと落ち着かなかった。身体イメージと鏡に映る像のズレはマタニティブルーの要因の一つなんじゃなかろうか。

◆生後1ヶ月までー(記憶がない)

母乳が出たので母乳育児を始める。たまにミルクも足したけどほぼ完母、1日あたりの授乳時間は2〜3時間。授乳前後での胸のサイズ差がえぐい。合う下着が存在しない。張り方も尋常じゃなく、これは本当に人間の体か?ってくらいガチガチの石になる。赤ちゃんに吸ってもらうとびっくりするくらい柔らかくなる。赤ちゃんはすごい。
産んだのに体型がまるで戻らない。お腹タプタプ。なにこれ。体は思う通りに動かない。出産したのに、全然自分の体って感じがしなくてびっくりした。

◆生後2〜4ヶ月ー私は食糧庫

ミルクの量を増やし始める。母乳の後にミルクを飲ませるのではなく、お風呂後はミルクの回、と固定する混合育児とした。
授乳回数は月を追うごとに徐々に減り、1日12回(160分)から1日5回(40分)くらいまで落ち着いていくのだが、乳の張りは相変わらずえぐい。外出のためにそろそろちゃんとした下着が欲しくなるのだが、1日の中でのサイズ変動が大きくて合う下着がない。買っても買っても合わなくて、財布も乳も痛くて泣いた。
週末一人時間をもらってネイルを再開した。一人で5時間以上出掛ける。リフレッシュできるかと思いきや、授乳間隔があくと胸が張って痛い。息子から離れても、次の授乳何時くらいかな、そろそろお腹減ってきたかな、と気になって仕方がない。気にしないようにしていても胸の張りが次の授乳を教えてくる。この、「出掛けようが寝落ちしようがなんだろうが息子の空腹を体が教えてくる感覚」が「へその緒」。息子の延長線上に自分の体がある。切っても切れない何かがある。テレパシーとか出来そうな気さえする。息子の食糧庫として私が存在している。
悪露が終わったと思ったら生理が再開して絶望した。妊娠〜産後唯一の特権、ノー生理生活が超短期間で終わった。ゴールデンタイムが短すぎる。母乳出てたら生理再開遅いって言ってたじゃん!嘘つき!母乳って無色の血液だって聞いたけど乳からも股からも出血するの?勘弁してくれ。しかも、妊娠前より生理痛が明らかに重い。授乳しているから低容量ピルによる生理痛軽減対策も取れない。ただただ脂汗かきながら耐えるしかなくてしんどいの極みだった。
急に抜け毛が増える。ホルモンのせい(妊娠〜産後の体調変化は全部ホルモンのせいと説明される、雑じゃない?ホルモンの荒ぶりがひどい)らしいけど、束で抜ける勢いで抜けていく。出産前最後に髪を切りに行った時、産後に髪が抜けて収拾がつかなくなるから前髪は切らないで伸ばしましょうね、と言われたのだが、抜け始めてようやく納得した。急に抜けて急に生えるから、生え際に短い毛がピンピン飛び出て全部アホ毛になるのだ。髪が抜けまくって禿げるんじゃないかという不安、掃除しても掃除しても自分の毛が落ちているイライラ、希望の髪型ができないストレス、小さく積み重なって負担だった。
何度か難聴になった。妊娠前から繰り返しているもので、すぐに薬を飲めば治ることは分かっているのだが、病院に行く手筈を整えたり、授乳中ゆえにその薬飲んでいいの?って調べたりすることにひどく疲れていた。たいていの薬は飲んでいいらしいのだけどもね。
産後の骨盤矯正に通った。骨盤に効果があったのかよくわからないけど、全身バッキバキだったので定期的にマッサージを受けるだけでも十分意味があった。胸が張って痛くてうつ伏せの施術は受けづらかった。
記憶力低下というか、頭が働かなくて、でもやること考えることはすごく膨大にあるように思って常にパンクしていた。

◆生後5ヶ月すぎーまだまだ食糧庫

離乳食を始める。全然食べてもらえず、死んだ魚の目で飛び散ったペーストを拭いた。赤ちゃんにしたって、ずっと甘い液体飲んでたのにいきなりよくわからんもの口に突っ込まれたら動揺するよね。
ミルクメインの混合に徐々にスライドし、母乳の授乳回数は深夜と昼間各1回、合計10〜20分まで減少。それでもまだ胸が張って痛かったので毎日吸ってもらったり、たまに搾乳したりしていた。
避けられようのない腱鞘炎や腰痛に悩まされる。産後ダイエット?母乳育児って痩せるんじゃないの?そんなことよりとにかく寝たい。親の疲弊をよそに赤ちゃんはすくすく育つ。ミルクと私の血で大きくなっている生き物、不思議だ。
脇や正中線の色素沈着が少し薄くなってホッとする。

◆生後7ヶ月すぎー引き続き細々と食糧庫

離乳食は2回食にステップアップ。食べる量が教科書通りに増えなかったので進め方に迷ったが、量より回数、種類を増やすものらしいので増やした。離乳食の量が増えるにつれて息子のうんちが臭くなって感心した。赤ちゃんの体の代謝が赤ちゃんだけで完結し始めているのを感じた。
離乳食が2回食になったとはいえ、まだまだミルクが主食で毎日800ccグビグビのみ、母乳は残すところ深夜の1回のみとなった。母乳は合計10分未満まで減っていていっそ断乳しようかと迷ったが、小児科や地域の子育て広場の相談員に「夜泣きの時は母乳の方が便利だから、出るならまだ続けた方がいいわよ!」とアドバイスされたため続けた。確かに深夜はミルクより母乳の方が便利。ところで、まだ夜通し寝ないのか。
歯が生えて噛まれる恐怖が増した。痛かった。あなたのための乳首ですよ、大事にして!
腱鞘炎や腰痛はさらに悪化する。赤ちゃんはプクプク育つ。生理痛がピーク。打つ手なしの状況を早く抜けたくて泣く。

◆生後9ヶ月すぎー母乳終了、へその緒が切れる

生後8ヶ月頃に夜間の頻回泣きが増えるとともに私の心身もやられていったので何度目かのネントレ(ねんねトレーニング)をして、見事夜通し寝るベビーとなった我が子。深夜の授乳がなくなり、生後9ヶ月時点で母乳は朝1回、合計5分未満となった。朝の授乳も私の胸の張り解消のためで、赤ちゃん自身はもう欲しがる様子がないような気がしたので10ヶ月を目前にした頃、母乳終了とした。2週間くらいは胸が張って搾乳する必要があったけど、徐々に減って絞らなくてよくなった。とてもあっさりした断乳だった。
赤ちゃんがもう完全に私じゃない栄養で体を維持しているのを見て、「あ、別の生き物だ」と思った。あらまぁ不思議〜と思った次には「あ、なんか切れた」「へその緒切れた」「私は私だ」というひらめきがあった。びっくりしたり寂しくなったり、気持ちが少し忙しかった。ずっと怯えていた乳腺炎の恐怖から解放されて、体が返却されたと感じた。息子は私という食糧庫がなくても他の手段でエネルギーを摂取できるようになって、別の生き物になった。

◆生後11ヶ月ー私は私

へその緒が切れてからさらに1ヶ月。完全回復!私は私だー!!!!!卒乳の寂しさは乗り越えたし何より朝まで眠れるのがサイコー!仕事復帰まであとわずか、ギリギリセーフ!
アホ毛パーティーだった前髪が伸びてきて、ようやく前髪を切れる長さになった。周りからしたら小さなことだろうが、髪型一つ思い通りにできないのは地味にストレスだったのでパッツンにできた日は本当に嬉しかった。ちなみにうなじのアホ毛パーティは産後1年3ヶ月すぎた今でも開催されている。いつまでかかるのこれ。
婦人科に行き、案の定(あんなに生理痛もPMSもひどいのに)何の異常もなく、でも生理痛きついなら低容量ピルいっとこうかってことでピルを処方してもらった。自分の体のことを自分で決めていいって本当にラク。体調不良が頻発する割に投薬に気を遣わなきゃいけないのは煩わしかった。
夜通し眠れるようになって、赤ちゃんの昼間の生活リズムもある程度安定してきて、やっと体が回復したな、と満足できた。頭にかかっていたモヤが消えていく。ここまで回復してようやく、赤ちゃんは母の体を好きなように使い、原状回復せずに旅立っていくものだと悟った。体型はぜんっぜん戻らなかった。うそでしょ。
赤ちゃんはハイハイするようになった。勝手に、知らぬ間に、私の視界の外へ移動する。これは本当に私の体から出てきたのか?信じがたい。空から降りてきた天使じゃない?だってすごいかわいいし。

◆おまけ1ー産後っていつまで?

回復にはいくつかのステップがあり個人差も大きい話だが、狭義では1ヶ月、広義では一生産後なのだと思う。体に不可逆な(そして好ましくない)変化が起こったと感じる。正直、3ヶ月くらいで産後が終わると思っていたが、甘かった。股の傷が治ったり悪露が終わったり授乳回数が減ったり、体がラクになるたびに「産後ってそろそろ終わった?」「だいぶ回復してきている!」と思っていたのだけど、あれは未経験ゆえの誤解だったと今は思う。安定して毎日睡眠が確保できるまではどこまでいっても体調は低空飛行のままだった。母体の周りにいる人は、ゆっくりゆっくり母体の回復をサポートしてあげてほしい。なんせ本人さえしばしば誤解していることだし、元気なように見えても本人申告の3倍くらいの期間は見積もっておくといいんじゃないだろうか。
大きなターニングポイントは母乳育児が終わることと、夜間の睡眠が安定して確保されること。私は仕事復帰に合わせて完ミにしたくて意識的に母乳を減らしていったけど、人によってはもっと長く母乳育児が続いて、へその緒が繋がっている期間は長くなり、「産後」も伸びる。我が子は1歳を過ぎても引き続きミルクをガブガブ飲み続けているんだけど、完母でこの期間を過ごす人もいるわけで、頭が下がる。5000兆円付与されて欲しい。
ホルモンバランスの変動もさることながら、睡眠不足がこんなに容易に精神を蝕むものだとは、知っていたはずなのにみくびっていたな〜と思った。寝たら赤ちゃんがさらに可愛くなってびっくりした。自律神経恐るべし。寝てくれるようになって本当に助かった。仕事復帰できなくなるところだった。

◆おまけ2ー社会に望むこと

世の中は母乳育児推しの割に母乳育児と勤労との両立に冷たい。あんんんなに母乳の呪いをかけてくるのに。育児休憩時間は労基法で決められているって?実際に自分事になった時使おうと思う人がどれだけいるんだろう?搾乳用の部屋や時間や洗浄環境や冷凍庫を用意できる会社がどれだけあるのかわからないけど、私は自社の制度や設備を調べてみて無理だなーと思って復帰までに断乳する方針にしてしまった。母乳育児にこだわりたい人は制度との狭間でもっと苦しんじゃうよね。どうにかならんもんかな。
あと、私は子供の生まれ月の関係で運良く体が回復してから仕事復帰できたけど、保育園を狙うなら0歳4月入園しか実質選択肢がないような、今の制約の中では体の回復を待たずして復帰しなければいけない人も多いだろう。体調不良を引きずらなくて済むような社会になるよう変わって欲しい。

おわりに

母乳育児は大変だったけど、授乳しながら寝落ちしかける赤ちゃんは本当にかわいかった。貴重な体験サンキュー、マイベビー!これからいっぱい一緒に美味しいもの食べようね!

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