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こどもを預けることの話

去年の春に書きかけてたやつを放置してたら投稿のタイミングを逃してしまったのですが、まあせっかくなので投稿しておくことにしました。
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新年度が始まり、娘の慣らし保育もスタートした。

「ひよこさんクラス」の教室に入り、先生や同じクラスの保護者さんと挨拶しつつ、娘をマットに座らせた。ぷりぷりのほっぺを緊張感で固めて、おすわりしたままあたりを見回すこともしない。外出先で知らない人に会ったときのお決まりのこの姿。

入口付近にある棚の引き出しのひとつには、娘の名前がちゃんと書いてある。持参したお食事エプロンやループタオルを詰めに行くと、もう娘が泣き出した。優しくて明るい先生に抱っこしてもらって、ギャイギャイ泣きながら必死にこちらに手を伸ばす。普段から人見知りが強い子なので、私は慣れっこだ。とはいえ、いじらしい。

そのまま主任の先生に書類を渡したりしていたら娘となんとなく離れてしまい、「がんばってね」とも「楽しんでね」とも声を掛けられず、先生方に「よろしくお願いします」とだけ言って園を出た。

娘よ、がんばれ。まだまだ、しばらくは楽しめないかもしれないけど。

どうやら私達の親世代には、保育園にマイナスイメージを持つ人間が少なからずいる。
おおかた、極端な貧乏共働き家庭と雑な保育環境を想像してるんだろう。それに加え、小さい子どもは自分を産んだお母さんと一緒にいるのが一番の幸せだという思い込み。

こちとら娘にうまいごはんをたっぷり食べさせてやるために働きに出るのだ。娘を任せられる保育園を探して何件も見学に行って一筆入魂の書類を書いて決めたのだ。

今どきの保育園は小綺麗で丁寧なところも多く、英語や書道だって教えてくれるらしい。私にはできない遊びや学びをいろいろとやってくれるし、金を払ってでも通わせたい環境が整っている。

それに私は娘と四六時中一緒にいたいとも思ってない。別に一緒にいて疲れるということもないし、当然溢れるほど愛してやまないのだけど、私ひとりでは今後娘の知的好奇心その他を満たすことができない絶対無理。

子供母親毎日一緒一番幸福説については、そもそも私がたまたま血の繋がった母親であるだけで、同じように毎日世話してれば赤の他人だって娘から一番に愛されるだろう。

血の繋がりなんかに期待してはいけないし、過度に重視してもいけない。どっかの民族は、生みの親より育ての親を「本物の親」として最も重んずるっていつかなんかの本で見た。育ての親が生みの親に牛を贈って子どもをもらうんだって。全然よく覚えてないけど、とにかく血縁重視はただの文化でしかないと当時の私は解釈したのであった(実の祖母を憎んでたので、この話には救われた)。

人間の子どもは手がかかる。子どもをみんなで育てることによって人類は発展してきたのだ。これはNHKで言ってたのでマジです。つまり人間の子はみ〜んなで育てること前提の仕様であり、ワンオペなんぞハナから不可能だって、ご先祖さまの代から決まっているのだ。

「保育園?かわいそう」と眉をひそめる無知なる者たちよ、子を保育園に任せることは、れっきとした良きことだぞ!私は娘をいろんな大人やいろんな子供に出会わせてあげて、日々刺激的に過ごさせてあげることを、母親として、人類の子孫として、誇らしく思うのだ!エッヘン。

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