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「地声で演じる」について

どうも、RinDaです。

普段はTwitterにて、声優志望者の成長につながる情報を発信したり、投稿された音声にコメントをしたりしています。

今回は「地声で演じる」と「声を変えて演じる」という考え方について説明をしてみようと思います。

「まず地声で演じることから覚えよう」とか「声は変えちゃダメ」というコメントは専門学校や養成所の講師の方のコメントあるあるだと思います。

大体の声優志望の方がまずこの壁にぶち当たります。

しかし、OAされているアニメなどの映像作品を見ても、プロの声優さんが声を変えて演じているのは明白ですよね。

ではなぜ、講師の方は皆、「地声で演じること」を推してくるのでしょうか?

結論から言うとどちらも同じこと

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「地声で演じる」というのは、演技を「前程」から見た時の言い分で、
「声を変えて演じる」というのは、演技を「結果」から見た時に言い分です。

もっとわかりやすく言うと、
「地声で演じる」は、演技を業界の「内側」から見た言い分。
「声を変えて演じる」は、演技を業界の「外側」から見た言い分という感じです。

結局のところ、プロから見れば、「地声」で演じてるだけのものが、素人から見れば「声を変えて」演じているように感じるという、感覚の差異の話でしかないのです。

なぜ同じになるのか

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驚いた時、怒った時、泣いた時。
はたまた、友達といる時、親といる時、満員電車に一人でいる時の自分の声を思い出してみて下さい。

たぶん、明らかに声の質が違うと思います。

でも、どの声も地声であることに違いないはずです。

では、なぜ「地声で演じる」は良くて、「声を変えて演じる」はダメなのでしょうか?

なぜ、声を変えて演じてはいけないのか?

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物事には順次構造というものが存在します。
平たく言うと、「火のない所に煙は立たぬ」とかいうヤツです。

この場合、「地声で演じる」が「火」で、「声が変わる」が「煙」です。

「声だけを変えた演技」というのは、「キャンプで火を起こさないといけないのに、なぜか砂を蹴り上げて砂煙を立てている」のと一緒ということになります。

確かに、煙が立っているのは一目瞭然ですが、今必要なのは「煙」ではなく「火」なのです。

しかも、なんなら「火」さえあれば「煙」なんて必要ないのです。

こう説明すれば「結果」と「前程」を取り違えるのが「いかに愚か」かということがわかりますね。

「地声で演じろ」という言葉の真意がここで見えてきます。

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講師側は、「演技ができる人材」が欲しいのであって、「声を変えて文章を読む人材」を欲しているわけではありませんから当然と言えば当然ですね。

より早く演技ができるようになるためには、声を変えることに囚われず、地声で演じて、結果的に声が変わって聞こえるようになる必要がある。

だから「地声で演じて」という言い方になるのです。

まとめ

・「地声で演じる」と「声を変える」のは実は同じこと。
・地声で話すことは多彩な音を使い分けるということ。
・大事なのは「演技をした結果で声が変わる」ということ。
・結果と前程を取り違えると、望んだ成果は生まれない。

では、「地声で演じる」を鍛えるのと「声を変えて演じる」を鍛えるのとでは、どちらがより成長できるのか?

皆さんも気になりますよね?

答えは、どちらでも構いません。
上手くなるのであれば。

ただ言えることは、「声を変えて演じる」を鍛える方が、かなり頭を使います。もちろん「地声で演じる」を鍛えても頭は使いますが、難しくはないと思います。

なので、素直に「地声で演じる」から鍛えて、行き詰ったら「声を変えて演じる」方向から鍛えてみるという感じがいいのではないでしょうか。

ここで一番大切なのは、「地声で演じて」というオーダーは、別に「声を変えてはいけない」と言っているわけではないということです。

演技が成立していれば、声だって変えて良いのです。

なので、皆さん早く上手く演技ができるようになりましょう。

RinDa


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