2024『7.26施設障碍者虐殺 8年目の追悼アクション』スピーチ

本日の『7.26施設障碍者虐殺 8年目の追悼アクション』でのおいらのスピーチです。

やまゆり園の事件から8年が過ぎました。その間にロシアのウクライナへの侵略、パレスチナ・ガザ地区の虐殺など世界も不穏な状況にあります。毎日のようにガザ地区では空爆があり、何人もの尊い命が失われているのに、テレビのニュースは感覚がマヒしたようにそれを「数字」として報じています。

この追悼集会前の7月7日には東京都知事選が行われました。3選を果たした小池百合子氏はこれまで関東大震災での朝鮮人犠牲者追悼集会に追悼文を送りませんでした。安倍晋三氏は事件当時、国としての批判声明を出しませんでした。一年が過ぎた2017年7月28日に「障害者施設における殺傷事件への対応に関する関係閣僚会議」で総理として発言しましたたが、なぜすぐにこの事件は許されないことだと云わなかったのでしょうか。

10年ほど前、ヘイトスピーチが東京や大阪の在日コリアン集住地域で激化した時、ヘイトデモを見て100年前の関東大震災で多くの朝鮮人が殺されたことを思い出しました。次に殺されるのは自分だと思い、街角で凍り付いて動けなくなりました。まだ殺されずに済んでいますが、その間にやまゆり園の事件が起きました。

私はヘイトスピーチに抗う中で、ストレスで片耳の聴覚を無くしました。その障害は、見た目にはわかりません。朝鮮人であることもまた、私を知らない人には気が付かないことだと思います。

私は在日朝鮮人なので特別永住者証明書を持っています。常時携帯の義務はもうありませんが、他の外国人には携帯の義務があり、先の法改悪で永住権の取消がたやすくなりました。この社会で、生きて行くことが簡単に取り消されるようになりました。

関東大震災の時、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「暴動を起こしている」と云うデマを信じた軍や自警団による虐殺が各地で起こりました。日本人と朝鮮人を識別するために使われたのが「15円50銭」という言葉です。発音できるかが生死の境になりました。

やまゆり園の犯人が、声を掛けた人の反応を見て殺していったと知った時「ああこれは現代の15円50銭だ」と思いました。

私がこの先、殺されないために。そして別の場所ではマジョリティになり、誰も殺さないために。何が出来るのかと毎年この場所に来るたび思います。

アホなんで大したことはできません。でも、忘れないこと。数字ではなく、生きていた人がそこにいたということ。ここに来る年を重ねるごとに、被害者の呼ばれなかった名前が増えることを祈り、彼女、彼らの名前を呼びたいと思います。名前は、あなたたちの生きていた証なのだから。

今を生きる私たちができることは何ですか。あらゆることに、抗いましょう。

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