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人生100年、あと3/4

最近「人生100年時代」という言葉をよく耳にする。
100年はあっという間なのだろうか。
今までの人生24年間はあっという間だっただろうか。
小学校での6年間、中高一貫校での6年間、大学での6年間はいずれも毎年とても変化に富んでいたが、これから先は決められた区切りというものは一切存在しない。
何はともあれ私の人生の約4分の1はもう終わってしまった。
私はこれから先、一体どんな人生を歩みたいのか。
学生時代に比べ大人になると、自由度が格段にアップした。
まだ学生を続けようかと悩んでいた私が社会人になって嬉しかったことの一つだ。
そして無理をする必要もなくなってきた。
もちろん嫌なことや逃れられないこともたくさんあるが、もっと広義で自由になった気がする。
学生というのはある一定期間校舎に幽閉され勉強をするのが一般的だが、社会に出ると様々な働き方がある。
サラリーマンのテンプレートに自分を当てはめる必要はない。
誰にも強制されずに自由に生きている実感がある。
ただ、もっと1日1日を楽しめるようになれたらもっと毎日が充実する気がする。
やりたい仕事が出来なくても、そこに価値が見いだせなくても、それでも毎日を楽しめる方法はないかなぁ、なんて考えながら、毎日デスクに向かう。
仕事ややるべきことに追われ、時間的拘束が大きければ大きいほどストレスは溜まりやすい。
でも、そんなことでストレスを溜めている時間がもったいない!
そう思うようになってきた。
大学5年次の薬局や病院での計5ヶ月に及ぶ実務実習では「健康」について嫌というほど考えさせられた。
開腹手術に立ち会ったり、自殺未遂の患者さんや終末期で麻薬も効きが鈍く苦しんでいる患者さんなど、幅広く医療と向き合ってきた。
身体的な健康と同じく精神の健康もとても大切だ。
だからこそ可能な限り自分に負荷のない生き方をしたいと思うし、既成概念に囚われずに自分らしく生きていきたい。
なんて堅苦しいことを書きながらも、こうして自分の時間が持てている今は本当に幸せだし、だからこそ還元出来る何かを見つけていきたい。
正直、私は今の仕事が好きなわけではないし、辞めようかと悩んだ時期もある。
辞めようと思った理由はやりがいが感じられず雑務ばかりで仕事のスキルがあまり身につかないと感じたためで、辞めていない理由はその裏表のようなもので、雑務の最中は考え事も出来るし帰宅後はもはや違うことをやる余力があるためだ。
本当に、採用担当者が聞いたら泣きたくなるようなしょうもない理由だが、これが事実だしある意味今の環境には満足できている。
もちろん仕事に注力するに越したことはないし、そうあるべきかもしれない。
でも、自分が何をやりたいか、何を重視するかはまた別問題なので、やるべきことはやりつつも今の環境だからこそ出来ることにチャレンジするべきだと思う。
それにしても、一見意味のないような多くの事柄に多くの労力が注がれているということは、滑稽でもあり、人間らしくもあり、とても面白い。

#自分らしく #人生100年時代 #20190618