15時
15時が「おやつの時間」として機能していたのは一体いつ頃までだっただろう。
小学生になると、15時はまだ学校にいる時間だ。
私の勤め先では、15時になるとラジオ体操第一が流れる。
「あぁ、もう15時か。」
「まだ15時か。」
そんなことを考えながらキーボードを叩き続ける。
15時が暇だったのは直近だと紛れもなく大学時代だ。
ただ、大学時代ほど時間の概念と無縁だった時期はない。
おやつなんて、時間に関係なくいつでも食べることが出来た。
だから、やっぱり「おやつの時間」は存在していなかった。
時間とは一体なんだろう。
概日リズムに正直に生きることをやめた人間が作り出した24時間という中途半端な区切りの中で、私たちは生きている。
あっという間に過ぎたり、いきなり遅くなったり。
感覚とのずれも大きい。
デスクトップの右下に表記されている小さなデジタル数字を見ながら仕事を進める。
デスクに忍ばせてあるお菓子を食べながら。
時折自分の腕時計に目を落とす。
国試合格祝いで買ってもらった腕時計。
小学6年生の頃から長年使用していた時計に代わり、実質2代目だ。
「一生モノだね。」
大丸東京の10階時計売り場で購入したこの時計は、祖父が残したお金で買ったという。
「おじいちゃんもROLEXが好きだったからね。りなは車に乗らないから、その代わりってことだよ。」
そんな会話をしながら日本橋高島屋から東京駅八重洲口方面に歩いた。
まったくもって可愛い値段ではないその時計には、可愛い孫を想う祖父の気持ちと、そして私の両親の想いがきっとこれでもかというほどに詰まっている。
15時が「おやつの時間」として機能していた頃の私が当たり前だと思っていた、祖父母や両親と過ごす日常はもうここにはない。
時計が刻むのは、決して現在時刻だけではないと思う。
それは私たちの思い出であり、私たち自身でもある。
月に1度は「おやつの時間」でも設けようか。
そんなことを考えながら、家路につく。