「好き」というドーピング
今日洗い物をしていて、ふと思ったことがある。
私は洗い物が好きではなかった。親の手伝いだとしても、バイト先の仕事だとしても。
なるべく避けたいし、やるとしても義務感で仕方がなく、洗い物をしていた。
でもある時バイト先で洗い物をしている時、「楽しな」と思うことがあった。
ホール出てもイライラしてる社員や怖いフリーターのおねえさまがいて、理不尽に何か言われたりする。
理不尽を受け入れ続けられるほど大人ではなかったわたしには、ちょっとしんどかった。(今は多少受け入れられるようになったよ(?))
一方洗い物は、どうやれば効率よくできるかをゲームのように考えながら、誰に文句言われるでもなく、無心で作業できる。いわゆる単純作業なわけだ。
早くできるようになれば嬉しいし、頭の中で音楽を奏でながら(時に鼻歌として出ているが)リズムにのって食器を洗うのが、いつしか楽しくなっていた。
それからというもの、洗い物=楽しいものという認識に。
バイト先で洗い物をめんどくさがっている人がいれば、我先に変わる。
家の洗い物も、積極的にやる。
「わたし、洗い物好きだから」
これを言うだけで、今まであんなに嫌だったのに、抵抗が一切なくなっていった。
私が単純なだけかもしれない。
でも、好きになればなんだってできるなって、そう思った。
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