東京~神戸、鉄道150周年の非18旅。
ある金曜の朝。これから出社していくだろうスーツ姿の通勤客と共に、私は東京駅の中央線ホームへと吐き出された。
列車を降りた人々は堰を切ったように下りエスカレーターへと流れていく。激流にのまれ、みるみるうちに私は地上階のコンコースへと流れついた。往来の邪魔にならない柱の脇に場所を取り、一息つく。
視界には忙しなく行き交う通勤客の姿が映る。同時に、大きなキャリーケースを引っ張った旅行客然とした人々も目立つ。平日朝の通勤時間帯でありながら、どこか旅の風情も漂っている。東京駅には新幹線も乗り入れているから、そういう客層も少なくないのだろうか。私がよく立ち寄る朝の新宿駅とは、どこか違う印象を受ける。
ある友人から、南紀白浜1泊2日の旅行に誘われた。お互い離れた土地に住んでおり、旅程を詰めた結果、まずは神戸で落ち合うことに。さて神戸まで何で行こうか。合流までの一人旅をどう過ごすか考えていたが、日程にゆとりがあったため、今回はのんびり東海道線を乗り継いでいくことにしたのだった。
東京~熱海
まずは朝食を調達すべく、地下通路にあるNEW DAYSに入った。客の出入りは激しく、コーヒーが飛ぶように売れていく。実は酒が飲みたい…けれどこんな時間から…などと飲料コーナーの前でたじろいでいると、近くを通った高身長の男性が躊躇することなくロング缶のビールを手に取っていった。何ら臆することはない。続く形で私も便乗させてもらった。
買い出しを済ませ、10番線ホームに上がる。目の前には新幹線ホームが見えた。新潟行きの「とき303号」が止まっていた。
新潟か…。日本酒欲に気を取られかけてしまったが、今回は行先が違う。
東海道線の下り列車を数本見送ると、目的の熱海行き普通列車が入線してきた。どの車両も通勤客でごった返している。果たして座ることが出来るのだろうかと不安な面持ちで停車を待つ。熱海までは2階建てのグリーン車に乗るつもりだが、自由席なので席が空かなければ座ることはできない。
列車が停まり、ドアが開く。続々と乗客が降りてくる。大半の乗客が東京駅で降りたらしく、無事に座ることが出来た。
旅行に先立ち、私は「東京都区内から神戸市内」への乗車券を用意していた。本当は鉄道開業150周年に勝手にでもあやかり、東海道線の全区間である「東京から神戸」をピンポイントに指定した乗車券でも買おうかと思っていたのだが、その提案はみどりの窓口で断られてしまった。どうやら様々な制約があるとのこと。鉄道の切符には、発売に関するルールが細かく定められているらしい。売る方も買う方も大変である。
東京駅7時01分発、普通熱海行き。グリーン車の2階席に腰を掛け、先ほど買っていた缶ビールを取り出す。東海道色と呼ばれる、オレンジと緑色のラインを帯びた列車の中で旅は幕を開けた。差し込む朝日が視界に刺さる。私は思わず窓のブラインドを下ろし、少し狭くなった車窓から景色を楽しむことにした。
こうして東海道線を下っていくのはいつぶりだろうか。
在来線をひたすら乗り継いでいく鉄道旅と言えば「青春18きっぷ」旅の代名詞と言えよう。私も発売シーズンになるとよく使ったものだ。
だが今回は18きっぷの発売時期でなかったため、私は普通乗車券を買った。関西へ向かうなら、夜行バスの方が断然早くて安い。また普通乗車券を買うくらいなら、特急券を上乗せして新幹線に乗れば断然早く着く。だけれど私はどちらの選択肢も取ることなく、ただただ普通に、普通乗車券で在来線を乗り継いでいくことにした。
何の金銭的メリットはなく、同じ行為は18きっぷ旅ならよりコスパ良く実現できるものである。しかし、ある種の限界旅行的な意味合いがある18きっぷ旅とは、旅に対する気持ちの引き締まり方が違うように思えた。鉄道150周年の年に、普通乗車券で東海道線を乗り通す。これは一つの浪漫ではないか。この出費は決して無駄ではない・・・とか何とか考えて余計な思考を遮断した。もう既に酔っぱらっているらしい。
しかし現実は残酷であった。東京駅を出てずっと、左窓には東海道新幹線が並走している。新大阪、広島、博多などといった行先表示を掲げながら、ひっきりなしに我が普通列車を追い抜いていく。旅の出だし早々、新幹線の誘惑に飲まれそうになる。何せ特急券さえ足せば本当に乗れてしまうのだ。乗る区間の乗車券ごと必要になってしまう18きっぷ旅の時とは、誘惑に対するハードルの高さが違う。そしてこの誘惑は神戸まで続くことが確定している。
列車は多摩川を越え、川崎、横浜へ向かう。ガタンゴトンというような音もなく、終始静かな車内であった。車窓には絶えず並走する線路が見え、ひっきりなしに列車とすれ違う。首都圏の鉄道王国ぶりをまざまざと感じさせられた。
道中、横須賀線と並走する区間があり、逗子行きの列車と激しいデッドヒートが繰り広げられた。次の横浜駅には我が東海道線が先着か、隣の横須賀線が先か。手に汗を握りながら、脳内でうまぴょい伝説を流しながらのレース模様であったが、後半戦で差をつけられ我が熱海行きの東海道線は数両差で2着となった。負けても乗車券は生きているので破り捨ててはならない。
東京と横浜。列車で数十分という距離感でありながら、車窓から見える景色は大きく異なるように思う。ひたすら平地と建物が広がっていた東京に対し、こちらは起伏に富んだ土地の上にひたすら建物がのっかっている。列車も同じで、横浜付近を走っている間、列車は土手の上を走っていたかと思えば、気づけば切り通しの中を走っていたりもする。中には明治の鉄道開通時代にルーツを持つ箇所もあるらしいとか、そんなようなことをブラタモリで見たなあと思いながら、ぼーっと車窓を眺めていた。
市街地を抜け、大船駅で横須賀線に別れを告げる。そこで意識は途絶え、次に目を覚ましたのは小田原を過ぎた頃だった。旅行前夜はは寝ずに荷造りをしていたため、寝不足がたたったのだろう。意識が朦朧としたまま数駅が過ぎ、気がづけば眼下には太平洋が広がっていた。根府川に到着する頃だった。
東海道線における最初のビュースポットと言えば、やはりこの区間だろう。早川から根府川にかけて、高台を走る線路から太平洋を見下ろす。一面に広がる大海原に圧倒されるのも良いし、この光景が見慣れているのか、車窓に全く関心を寄せていない地元客を眺めるのも楽しい。
また東京行きでいうと、高松・出雲からやってくる寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」で明け方を迎えるのが大体この辺りである。季節によっては、太平洋に浮かぶ朝日を寝台から眺めることが出来る。その風情たるや一度見たら忘れることはできない、旅情の沁みた区間であると言えよう。
根府川で数分間の停車をした後、真鶴、湯河原を過ぎて、列車はまもなく終着の熱海に近づく。殆どの区間を寝て過ごしたせいで、ほぼ飲み切れていなかったビールを消費するのに手いっぱいだった。8時59分、熱海着。
熱海~豊橋
静岡方面の列車に乗り換えるため、連絡通路を歩いて隣のホームへと向かう。平日ながら人出が多い。流石は関東屈指の観光地と言ったところか。コンコースも乗り換え客で賑わっており、もしやこれから乗り継ぐ静岡方面の列車も混んでいるのでは・・・と気を揉んだ。
次に乗車するのは、熱海駅9時6分発の島田行き。ここからJR東日本からJR東海に管轄が変わり、車両の長さも10両から6両に縮まる。
列車の両数が減れば、座席の競争率はより激しくなる。乗り継ぎ客の多い18きっぷシーズンでは座る席を確保するために急ぎ足で乗り換えをする人も少なくない。座ることが出来なければ、この先の静岡県内では殆ど立ったままの移動が約束されてしまうからだ。
のんびりと乗換支度をしていた私は、熱海駅の人の多さを見て、これは最悪座れないのではないかと半ば諦めムードでいたのだが、いざ島田行きの停まっているホームに上がって見ると、それは全くの杞憂であることがわかった。
乗り込んだ先頭車両には、私以外に4人しか乗っていなかった。乗客の大半が熱海を目的地としていたようだ。18きっぷシーズンに乗った時の忙しなさが嘘のようである。
丹那トンネルを抜けて函南を出ると、続いて伊豆箱根鉄道線の接続する三島に到着。東海道線はあっという間に伊豆半島の付け根を横断する。
三島駅では停車時間があり、停まっている間にじわじわと乗客が増えてきたものの、座席が埋まりきる程ではなく、やはり閑散としていた。そして乗ってきた乗客は、次の沼津で殆どが入れ替わってしまった。この小刻みな入れ替わりは、静岡県内を走る東海道線の特色でもある。
特にこれといった印象もなく、ただ流れていく車窓を向かいの座席から眺める。富士山も曇っていて見えなかった。ふと瞼が落ちる。
起きたら静岡駅だった。やらかした。
本来は静岡より手前の興津という駅で、当駅始発の浜松行きに乗り継ぐ予定だった。始発ならほぼ必ず着席できるからだ。だがその計画は睡魔を前にしてあっけなく散った。
結局どこかの駅でこの浜松行きに乗り継ぐことは確定している。せっかくならばと、待ち時間を使って静岡駅の駅そば屋で軽く空腹を満たすことにした。うどんを食べていると、隣の新幹線ホームから、のぞみが轟々と音を立てて通過するのが聴こえた。
静岡駅10時42分発、普通浜松行き。3両編成の列車には先客が多く、案の定座ることは出来なかった。車内トイレ横のスペースにもたれて車窓を眺める。
東海道線は言わずもがな歴史ある路線だ。戦前から数多くの名列車たちがこの鉄路を駆け抜けてきた。沿線の風景は当時からどれほど変わっただろうか。あるいは、過去の人たちも同じような風景を窓から眺めていたのだろうか。昔を知らない私には、一方的に思いを馳せることしかできない。
殆ど各駅停車しか走らない静岡県内の東海道線は、18きっぷ旅において退屈でしんどい区間として語られがちである。その理由は枚挙に暇がない。しかし鉄道の歴史に詳しければ、もっと楽しみながら静岡県内の区間を移動できていたのかもしれない。鉄道にせよ、自然にせよ、街にせよ、知識があれば車窓の解像度はぐっと上がり、楽しみ方は尽きない。もっと勉強しないといけないなと思う。
隣を東海道新幹線が追い抜いていく。いつもなら「アレに乗って秒で移動したい!」とそそられるものなのだが、今日くらいはもう少し、この鈍行の車窓に付き合っていたいなと思った。
焼津で乗客の多くが入れ替わり、ロングシートの角席に空きが出たので、ありがたく座らせていただくことにした。席が空いてから私が座りに行くまでにそれなりの猶予があったのだが、近くに座っている人が角席に移動するといった様子もなく、何だか大人しい印象を受けた。このような場合、地元では進んで角席に移動する人は珍しくない。なんなら私だって空いてればそこに座りに行く。
ロングシートの端の化粧板にもたれながら、いつしかまたうたた寝をした。瞼を擦りながら浜松で乗り換えをして、豊橋行きの列車内で再び眠る。クロスシートの座席で寝心地が良く、一切の記憶がないまま豊橋に到着した。
豊橋~岐阜
所用のため飯田線へと寄り道をした後、豊橋駅15時32分発の大垣行き快速列車に乗車する。空はもう暮れつつあり、秋の日の短さを感じる。東京から延々と各駅停車に乗ってきたが、ここからは停車駅の絞られた速達列車での旅が始まる。
平行する名鉄線ホームからは、豊橋駅を同発の新鵜沼行き快速特急が先に動き出した。大垣行き快速はその後を追う。しばらく快速特急の後塵を拝していたが、豊川を渡る場面で巻き返し、渡り終える頃には完全に抜き切っていた。こういう車窓は見ていて気持ちが良い。切符も破り捨てずに済む。
蒲郡、幸田、岡崎、安城と停車しているうち、いつしか夕陽の暖かさに眠気を誘われ、気づけば名古屋の手前の金山まで来ていた。夕方のラッシュに差し掛かっているらしく、どの駅も乗降客の出入りが激しい。しばらく空いていた隣席も、どこからか相席となっていた。
16時50分、岐阜着。乗って来た快速を見送った後、私は改札を出て売店で買い出しをすることにした。ここからは飛騨高山から来る大阪行きの特急「ひだ号」で一気に関西へ移動する計画だったので、車中を過ごすお供を物色したかったためだ。
帰路を急ぐ学生たちに交じりながら駅のコンコースを歩く。少し時間に余裕があったので、買い出しの前に駅前を一瞥することにした。
遠く金華山の頂から岐阜城に見下ろされるように広がる町が、岐阜市の市街地である・・・などと書き出してみたが、恥ずかしながら私は岐阜市に対する知見を一切持ち合わせていない。
私の中の岐阜といえば、個人的な地縁の関係で、殆どが中津川や高山をはじめとする東濃・飛騨地方に占められている。岐阜市といえば、それこそ18きっぷ旅などにおける通過点としての印象しか持ち合わせていなかった。だが今回、私はこの岐阜駅前においてある思い出を得ることとなった。
2時間数千円のお試し
私が駅ロータリーの風景を撮影している横で、男性が女性に声をかけているのが見えた。ナンパの類だと思い様子を伺っていると、女性は無視するような素振りでその場を離れた。まぁ人の集まる場所ではよくある光景だよなと思っていると、なんと今度はその男性が私に声をかけてきたのだ。
勝手に細かく書くのもよろしくない気がするのでかいつまんで書くが、要は「お店で働いてみませんか?」という勧誘であった。どういうお店なのかはそこまで詳細を問わなかったが、2時間の体験で数千円が手に入るタイプのお店で、人手不足が深刻とのことらしい。
明らかに怪しい気がしたので、私はやんわりと断りを入れた。意外にも、男性は食い下がることもなく引いた。この手の怪しい勧誘は分野を問わず食い下がってくる印象があったが、これは私の予想に反した。
男性の語り口はいたって穏やかで、本当に人手が欲しくてなりふり構わず声をかけている状態なのかなと思ってしまう程だった。怪しい怪しくないはさておき、勧誘の形としては嫌悪感を覚えないタイプのそれだったのが好印象だった。例えば宗教なんかだと勧誘を振り切るのにもっとしんどい思いをするし、そのレベルで勧誘を振り切る心積もりもしていた。
ただ、私みたいな場末の限界独身男性に声がかかる程なので、よっぽどなのだろうと思う。しかしその怪しさもさることながら、そもそも特急ひだ号の時間が迫りつつある中で、私は改めてその旨を伝え、丁重にお断りをさせていただいた。私は力になれなかったが、人手不足が良い形で解消されていることを願ってやまない。
岐阜~神戸
改札近くの売店で買い出しを済ませホームへ戻る。大阪行き特急「ひだ36号」の到着まで、もう少し時間があるようだ。陽も暮れてすっかり冷えだしたので、カバンに仕舞っていた上着を取り出して着た。
15時33分に高山駅を出発する特急ひだ号は、名古屋行き「ひだ16号」と大阪行き「ひだ36号」からなる併結列車で、ここ岐阜駅で別れた後、それぞれの終着駅へと向かっていく。岐阜駅から東海道線を下り大阪へと向かっていくのが、これから私が乗る「ひだ36号」である。
ホーム中ほど、連結を解除する係員数名に見守られながら、目的の特急ひだ号が入線してきた。白地の顔にオレンジの帯をまいた「キハ85系」と呼ばれる形式のディーゼルカーである。
大阪行きの特急ひだ号は先頭車が自由席で、席が空いていれば最前列で前面展望を楽しめることが出来るのではないかと思ったのだが、あいにく先客がいた。私は少し後ろの座席に腰かけることにした。
17時44分、特急ひだ36号はエンジンを力強く唸らせながら岐阜駅を後にした。車窓が闇に包まれていく。首を伸ばすようにして進行方向を覗く。進行方向の景色は、窓ガラスが車内を反射してよく見えなかった。
東海道線のような幹線を走るディーゼル特急の楽しみと言えば、なんといっても走行音だろう。
東海道線ほどの幹線ともなれば線形が良く、スピードも出しやすい。よって普段は急カーブ・急勾配が多く速度も出しにくい線路を走るディーゼル型の特急車両も、このような路線では思う存分に速度を出すことが出来る。速度が出れば出る程エンジンは唸り、鉄道オタクである私の鼓膜を孕ませる。今回の旅程を練っていた段階から、この区間は特急ひだ号に課金すると決めていた。
途中、関ヶ原を超えるところはカーブも多く、大人しい走りをする場面も少なくはないが、米原を過ぎてJR西日本の琵琶湖線と呼ばれる区間に入ると、エンジンを存分に回しながら快走していく。
キハ85「グオォォォォォォォォ!!(力強いエンジン音)」
ぼく「(うひょ~~~~~~~~~!!!)」
心の中で、ひだ号のエンジン音と私の絶頂が混ざり合う。こんなん気持ちいいに決まってるじゃんな。酒がよく進むわ。とまぁ、こんな感じですっかり気持ちよくなってしまった次第である。
ところで、琵琶湖線の車窓と言えば「平和堂」である。滋賀県内の各駅を通過する時、車窓を眺めていると、駅前に鳩のマークを冠した商業施設が立地しているのが視界に入る。滋賀に縁がなくとも、駅前のこの光景だけは何となく記憶に残っている18きっぱーも少なくない事だろう、あの商業施設だ。
今回も例にもれず、大きな鳩の看板が駅前にあるのを見て「あぁ滋賀県に来たなぁ」と感慨に耽っていたのだが、ロゴマークは確かに「平和堂」のそれなのだが、なぜか施設の看板には「フレンドマート」という文字が躍っているのに気が付いた。
ネットで軽く調べて見ると、フレンドマートとは平和堂における小型店舗を指すものらしい。いや、同じロゴと言えど、以前ここを通った時は確かに平和堂だったはずではないか…? いつしか店舗形態が変わったのだろうか? などと考えたものだが、そうこう考えているうちに酔いが回り寝てしまった。前方の座席から、鉄道趣味者らしい男性2人が会話している様子が微かに聴こえた気がした。
19時ちょうど、草津駅に到着。降車した客が先頭まで歩いてきて、熱心に車両を撮影しているのが見える。いま乗っている「キハ85系」は、2023年春に導入される新型車両に置き換わることが決まっている。それを惜しんでか、沿線のギャラリーも多いように思えた。かくいう私にも同じような動機があってこの列車に乗り込んでいる。
鉄道趣味者に留まらず、一人旅っぽい人や、親子連れなどもスマホやカメラを構えて撮影をしている。列車の引退といえば、それこそ鉄道オタクが熱心に追いかけまわしているような印象を抱くのだが、そうした鉄道趣味者に留まらない多くの人々がこの車両に関心を寄せている光景を見ていると、オタク目線からしても、何だか心温まるところがある。
何度か居眠りをしておきながら、まだ睡眠は足りないらしく、この期に及んで再び寝落ちした。気づいたら新大阪を出たところで、これから淀川を渡らんとするところであった。旅も終わりに近い。
空き缶や弁当容器の片付けなどに追われ、あれよあれよのうちに大阪駅着。駆け足で降車した。この駅でも数人のギャラリーがいた。大阪駅にこの車両が乗り入れるのもあと数か月だと思うと、どこか名残惜しい。次に来るときにはもうない風景なんだと袖を引かれる思いで、数枚ほどシャッターを切った。
特急ひだ号が回送列車として大阪駅を去るのを見送った後、通勤ラッシュ真っただ中の新快速へと乗り込む。
数分遅れで走る列車の中で、今まで来た道のりを反芻する。はるばる来たものだ。自分にしては珍しく朝に起きて列車に乗り、何時間も列車に揺られて大阪まで来たのだ。・・・何だかんだで「遠くに来た」と思い返すひと時が旅行中で一番気持ちいい瞬間かもしれない。いやいや、この旅のメインは明日からの白浜旅行ではないか。などと我に返りつつ神戸着。折り返して宿のある三宮へ向かい、友人より一足先にチェックインを済ませた後、夜食を得るために夜の繁華街へと繰り出したのであった。
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