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Violet Evergardenを読んで

わたしは「ありがとう。」という言葉を大切な誰かに告げると、そして告げられると。
胸の奥の方がぼんやりと、あたたかくなる。

これがうれしいという感情なんだ、と。
しあわせという感情なんだ、と。
そう思うようにしている。それで良いのだとも思う。
だけど、ときどき、自分の感じている感情が何であるかが分からなくなる。しあわせだ、と本当に感じているのかも分からなくなる。
そして、しあわせを感じることに不安を抱くことがある。

わたしの周りの人は、みんなみんなやさしくて、そんな自分でも良いんだって思おうと思える。どんなわたしでも側に居るよと言ってくれる人が居る。だけど無性に苦しくなる、ほんとにこんな自分があの人たちの周りに居ても良いのだろうか、と。こんなわたしがどうして今も生きてるんだ、早く死ねよとも思う。そんなときがある。

そんな自分さえも包み込んでくれる人に、毎日「ありがとう。」と言いたい。今はその為に生きています。


ヴァイオレット・エヴァーガーデンに出会ったのは、中3の受験生のとき。仲の良かった友達が自らこの世から居なくなった年。自分が友達を殺したのだという自己中心的な思考に囚われているとき。愛がなんなのか、まだ分からなかったとき。

そんなときにあの作品に出会った。
息を呑むような作品に魅了され、泣いてる自分がいたことに気付いた。
ああ、わたしも感情と言葉が上手く結びついていないんだなと気付いた。何がうれしいなのか、かなしいなのか、あまり分からない。
だけどそこにあるんだと知ることができた。

それから一年後、彼女ができて、好きとは何であるか、愛しいという感情が少しずつ分かるようになって、出せるようになった。
あの作品に心を動かされたからだろうか。
あの作品に関わった方々、ありがとう。
とってもとってもありがとう(*´꒳`*)

ヴァイオレット・エヴァーガーデンの下巻も読みます。アニメは何度も見ていたのだけれど、本を読むのは初めてでした。とってもよかった。改めて、この作品に出会えて良かったです。
ありがとう😊

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