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37seconds ネタバレ注意

僕は、元々、仕事でうまくいかない事があると、凄く考え込むタイプでした。せっかく仕事を降って頂いたのに、その期待に、僕は応えられただろうか。その為の準備は十分だっただろうかと。それ故に、事前に準備して臨むタイプといいますか。色々知っておきたいタイプでした。しかし、仕事が忙しくなると、前の現場から次の現場へ、飛び込み、収録を終え、また次の現場へ飛び込むという事が増え、事前に台本を読む時間は、おろか、今自分が何の番組の収録をしていて、どうゆう立ち位置でいるのかさえ、よくわからないという状況が、繰り返し訪れるという毎日に、物凄く恐怖やストレスを感じるようになっていきました。そんな時に、「事前に色々知ってしまうと楽しくないから」という理由で、現場にやってきても、台本にも目を通さず、それ故に、起きたハプニングや失敗さえも、凄く楽しんでいる相方を見て、もっとこの状況を楽しんでもいいのかもなと思えるようになってきたのです。反省して修正する事は大事だけど。それによって落ち込んだりするのは程々にしよう。と思う事ができました。もし、このマインドに至る事が出来なかったら、僕はあの時、毎日のように訪れるプレッシャーとストレスで潰れてしまっていたかもしれません。

しかし、そういったマインドに至ってもなお、いまだに、後悔してしまうお仕事がいくつかあります。37secondsも、そのひとつ。この作品との出会いは、YouTubeのプロモーションがきっかけで、監督と対談させてもらったのですが。当時、僕の平均睡眠時間は3.4時間。事前に渡されたDVDも、観ることが出来ず、聞いた話と自分がその時感じたものを頼りに、なんとか立ち回ったというのが、終わった後の感想でした。

お忙しいと思うので、観なくても全然大丈夫ですと渡されたDVD。もしあの時、忙しい時間の2時間を、あの作品に割くことが出来ていたら、HIKARI監督に聞いてみたいことが沢山あったし、もっとプロモーションとして、自分をマスにして、出来ることがあったのではないかと。こうして時間が増えた今、後悔しています。

お仕事を通してでしたが、せっかくこうゆう形で関わらせて頂いたので、映画館で、と思って劇場に行ったのですが、全回満席で結局観れず、資料用のDVDで観させて頂きました。

自粛期間に入り、仲の良い芸人仲間との間で、この作品の話が話題になり、もしかして、あの時出来なかった事も、今なら少しは出来るのではないかとペンを取ってみた次第です。以降ネタバレしまくるので、気になる方はお先にNETFLIXへw

この作品は、出生時の脳性麻痺によって、車椅子生活を送る女性の自立を描いた作品なのですが、監督も意識していたとおっしゃる通り、終始、僕達の目線より低い、車椅子の方の目線から撮られているカットが多く見受けられます。作品の冒頭で、主人公が電車で移動するシーンがあるのですが、周りの人達が、まるで車椅子に乗った自分を取り囲む、高く聳え立つ「壁」のように感じるというか、そんな感覚に陥る印象的なカットから始まります。介護のバイトを始める時に受けたオリエンテーションで感じた、あの衝撃を思い出させられました。車椅子の方の目線からは、僕達がこんな風に見えていて、まるでそれは、健常者と障がい者と呼ばれる方との隔たりを表しているかのようだったあの感覚を。

映画は、だんびらむーちょの大原が、この映画の覚悟を感じたと言っていたヌードのシーンへと移り変わります。笑 主人公(ゆまちゃん)の母親が、汗をかいた主人公の衣服を、四つん這いにさせ、子供の服を脱がすかのように、乱暴というか、作業的に、引き剥がしていくというシーンなのですが、2人にとっては、これが日常で、年頃の女性であっても、親にこうされなければ生活を送っていけないというような、どうしようもない日常をを突きつけられたようで、思わず襟を正してしまうような衝撃的なシーンでしたね。今回がデビュー作、それまで社会福祉士として生活してきた佳山さんにとっても、このシーンを演じ切るのは、かなりの勇気と覚悟がいるものだったのではないでしょうか。

その流れで、母親が主人公のハンバーグを切ってあげるシーンがあるのだが、こういった何気ないシーンで過保護な母親の片鱗を、HIKARI監督が視覚から散りばめてきます。ワンピースを着たいとねだる主人公。襲われたらどうするの。ついて行っていいならいいわよ。その日、着ていく服を、ひとつとっても、このような会話のやりとりが繰り広げられる。親、故に、我が子を心配する気持ちが、手を差し伸べるラインというものをついつい超えてしまう様子が見て取れるのと同時に、僕達が着たい服を着たいように着てることすらも、いくつかのハードルがある人がいるという事を考えさせられる。

シーンは家庭から社会へ、主人公は漫画家をやっている親友のゴーストライターとして、ひっそりと存在している。ダイタクTVでも少し話題に上がっていた「親友腹立つ」「それでも彼女は、小さい頃からユマちゃんに寄り添ってきたんだ」「きっと、親友の中でもユマちゃんは唯一の友達と呼べる存在だったに違いない」という事がなんとなく、セリフややりとりから感じられる。その後の関係も少し触れて欲しかったなんて感想も中には目にするが、やぼというか、なんでも丁寧に描き過ぎる、日本映画の悪い癖というか、監督も余白を残して、観る側に想像させてくれているのかなと感じた。

母親や、親友のゴーストライターという、日常に息苦しさを感じ始め、自分の力を試したいという思いからか、ユマが自分の作品を成人向けの漫画出版社に持ち込む。しかし、「SEXの経験がない人に、いい漫画は描けない。SEXしてからまたきて」と女性編集者に一蹴されてしまう。僕の文章だけでは、そう感じる人も少なくないと思うのだが、肯定的な口コミが大多数の占める中、唯一否定的な意見が見られたのがこのシーン。内容としては「そんな事言わせるな。」とか「障がい者を差別している」といった意見がちらほら見受けられるのだが、監督は、もちろんこういう出版社に、何度も取材に行っていて、そこに、「性」を扱う現場のプロフェッショナルを見たと言うんですね。なんというか、障がいがあるからといって、特別扱いすることの方が、ある種、差別というか。出版社に門前払いにされるシーンって別によくあるシーンで。それが障がい者だったから差別って。その考えそのものが差別というか。作品を見ればわかってもらえると思うんですけど。本物になりたかったら、色んなことを経験しなさいっていう女性の先輩としてのアドバイスというか。

性経験って、親の教育から離れて、自分で選択しながら経験していくもののひとつじゃないですか。危ないから家にいなさい。誰もが彼女にそう言ってきたと思うんです。街の小さな段差一つでもそうです。お前の来るところじゃないって言われるてるような、そんな社会からのメッセージにも受け取れてしまう。そんな社会の中で、外に出て経験しなさいといったあの女性編集長は、唯一彼女をフラットに、健常者も障がい者もなく、性の仕事に携わるプロフェッショナルとしての言葉をかけたのではないかと、僕は感じています。

編集長の言葉をきっかけに、周りの23歳の女性と同じように、性にも興味を持ち始め、新宿のディープスポット歌舞伎町に吸い込まれて行くゆま。そこで紹介された男性のセックスワーカーの方と関係を持とうとするのですが、これからという時に失禁してしまい、あえなく失敗しています。

下半身の感覚がないので、水分を取ったら自分で時間を測って、自分で排泄しなければならないんですね。それでも自然分娩で子供を産む事が出来る人体の持つ生命の強さみたいなものに、監督は感動したって言っていましたが。

お前の来る場所じゃない!障がい者と社会の間にはやはり、大きな隔たりがあり、それを超える事は極めて困難だとでも言われてるかのような胸を締め付けられるような思いになりかけたその時、そのホテルの廊下で、ゆまは、サービスを終えたであろう、これまた車椅子の男性とセックスワーカーの女性と出会うんですね。この男性クマさんは実際に、出生時より脳性麻痺による四肢の痙性麻痺を抱えていて、医療、介護、風俗産業など、さまざまな現場で障害者の性的幸福追求権が完全に無視されている現実に突き当たり、バリアフリーな風俗店の情報を発信していて、自らアダルトビデオに出演するなどの活動を始めるに至る。実際に脳性麻痺の方で、自らアダルトビデオに出たり、風俗評論をしたりしている方らしく、このクマさんと監督との出会いが監督がこの作品を描いてみたいと思った大きな要因の一つだったらしい。

話は戻って、そのセックスワーカーの女性との出会いによって、ユマのなかでもまた、色んな事が変わり始め動き始める。ハグしたり、キスしたり、SEXしたり、その欲望は男性も女性も障害があるないにかかわらず、当たり前にあることで、そこもまた、隔たりなんてあってはならないはずだ。そおゆうとこですら奔放でいいんだよって教えてくれるような素敵なかっこいい生き方をしている女性の1人です。

ダイタクのダイが言ってた、このセックスワーカーの女性が、ユマちゃんに対して何も聞かないところが、女性として器量というか人間のとしての強さを感じたという感想は非常に頷けた。

その要因には、レインボージャンボが言っていた、「女性監督だけあって、女性の強さ、みたいな部分がすごく魅力的に描かれている」というところに繋がるのかもしれない。

かくして、ゆまは母親の監視の目をすり抜け、親友からの束縛からも、逃れ自分探しの旅に出る。

監督は当初、事故によって下半身付随になってしまった女性の恋愛を描いた脚本を2年かけて書き上げたらしい。しかし、オーディションで佳山明と出会い、このリアリティを描きたいと2ヶ月で脚本を丸々書き換え、タイトルすら変えてしまったらしい。

その話は、また今度にでも。

何かをインプットし、どうゆう形でも、アウトプットする事で、あの頃の後ろめたさが少しでも薄れていくと共に、僕の人生を豊かにしていってくれたなら、それはそれで、反省という形ではなく過去の後悔すらも、前向きに解釈できるのではないかと思ってしまった今日この頃の僕です。


お後がヒュイゴー 

EXIT りんたろー





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