味方にならない理由

長女を産んだ頃、「叱らない育児」が流行っていた。

ヒトを育てる方法に流行り廃りなんてあるのか?
…って、今ならちょっとクスッて笑ってしまいそうだけど、

一人の大切な人生をお預かりするだなんて初めての事で、
とても責任を感じて、ちゃんとしなきゃ!って思っていたから、
長女が産まれる前から育児本を熟読したりして、かなり肩に力が入っていたの。

それでね?「叱らない育児」って、
子どもを叱ると自己肯定感が低くなってしまい、
将来、大人になった時に、
自分に自信が無くて、鬱病になってしまったり、
将来を絶望するようになるかもしれない…
みたいな恐ろしい事が、
まことしやかに書いてある本もあって、

「子どもを叱ってはいけない、叱ったら大変な事になる…」
って、常に目に見えない何かに脅されているような気持ちで育児をしてた。

一人目はまぁ何とか頑張れた。

でも、二人目、三人目…と、2歳差で産んでしまったから、もうカオス。

まだ2歳でよく分かってなかった次女は、
新生児で寝た状態の三女の顔の上に、
ヨイショと丸いおしりを乗せて座ろうとしてさ、

それを「窒息して死んじゃうから違う所に座ろう」と促すと、
やりたい事を止められた事に癇癪を起こし、大暴れする、
とかね。

「叱る」を封印すると、生活が回らなかったから、
ある時、もー、無理っ!と、ぜーんぶ放り投げて、
今ではすっかり、ガミガミ母ちゃんになってしまった。

ありゃりゃ。それまでずっと頑張っていた意味よ…。

で、その「叱らない育児」で、一番、モヤモヤしたのが、
「どんな時もお子さんの一番の味方でいましょう」
という言葉。

いまだに、考えてしまう。

例えば、三女の味方をする、としたら、
喧嘩相手の次女の方を、否定する事にならないか?

誰かの味方をする、という事は、
味方をしてあげた方の人と敵対している人の敵側につく、
という事になってしまうのではないだろうか。

そしたら、対立は永遠に終わらない…、どころか、
更に、溝を深くしてしまう事に繋がるんじゃないかな…とも。

私は、なので、我が家で姉妹喧嘩が勃発した時は、
よっぽどでない限り、介入しないようにしている。

子ども達は、私に味方になって欲しくて、
「お母さん、聞いてよ、◯◯がねー?」
って言ってくるけど、

「お母さんは、誰の味方もしませんー。
 どちらか一方だけ悪いなんて事は無いはずだよ。
 みんな、相手がニコニコになる言葉だけを使ってください」
とだけ言いおいて、トイレなどの密室に籠城する。

周りが介入するから、話が更にややこしくなる…、
という事もあると思う。

当人同士が上手に話し合いができるようにサポートだけしてあげて、
あとは、遠く離れた場所で、静かに見守りたいな。


私の目に見えている事だけが真実じゃないし、
こちら側とあちら側で、何が真実かは変わるし、
真実に見える物も、実は真実じゃない事もある。


中3、中1、小5になっても、
いまだに低レベルな姉妹喧嘩をしている我が家…。

それを、心を無にして、静観する私…。

育児は滝行のような物だな…。

まぁまぁ子どもが大きくなってきてジワジワ感じる事は、
親が子どもをどう育てるかは、重要じゃなくて、
子どもと人間同士としてどう付き合っていくかが、大事なんだろうな、という事。

親、子どもの立場は関係なく、対等に対話をして、
一人の人間として尊重して、敬い、丁寧に付き合う事で、
子どもも育つし、自分も育つんだろうな…。


さて。

頑張って模試を受けていた次女のお迎えに行きますかね。