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初めてちゃんとしたコーチングを受けたらやっぱりすごかった話

「将来はアフリカに行きたい」と言い始めて数年。
今は公立の小学校から私立の学園に移り、PBL的カリキュラムの導入など、より素敵な教育を目指して働かせてもらっています。

今関わっている仕事の多くが、自分の将来につながっている気がしてワクワクしている日々。
でもその“将来”が中々クリアに描けず、いつまでもぼんやりしていて、どこかモヤモヤしているのも事実でした。

そんな中、同じ職場の先輩がアドラー心理学をベースとしたコーチングを得意としていることを知り、ぜひとも!とキャリアコーチングをお願いしてみました。

結論、コーチングすごい。半端ない。

これはまとめておきたいと思い、何がすごいと感じたのか、自分なりに整理してみました。
勢いのままに初noteです。

自分が知りたいことを、自分は全然知らなかった

自分の頭の中がとっ散らかった状態でコーチングをしてもらったので、まず自分が「何に悩んでいるのか」「何を知りたいのか」を探していく作業から始まりました。

これが非常に面白かった。

個人的なことなので詳しくは書きませんが、
最初に自分が悩んでいると思っていたことと、最終的にコーチと共に解き明かしていったことは全く別物だったのです。(もちろんつながっていますが)

自分は最初あることを“悩んでいる”と思っていたのですが、コーチと対話する中でふと、自分がすでに答えを持っていることに気付きました。
比較的早い段階で自分の口から答えが出てきて、正直驚きでした。

では本当は何に悩んでいるのかを、次にコーチと共に探していくのですが、最初の悩みが悩みでないことを理解した自分は、どこかスッキリとしていて、「じゃあ何に悩んでるんだ」と冷静かつ夢中で自己分析することができました。

その後は、ずっと自問自答をし続けました。
コーチも問いを投げかけてくれますが、ほぼ自分が話し続けている状態です。

そして最終的に、
表面的に“悩んでいる”と思っていたことは、実は自分の本当の悩みを隠す盾のようなもので、その奥に本当の“悩んでいること”があったということを発見することができたのです。

正直それは自分にとって、あまり直視したくない悩みでした。
だからこそ、解決する必要のある重要な悩みでした。

実はこの悩み探しで、コーチングの大部分の時間を費やしています。
しかしそれだけの価値は十二分にありました。

以下に自分が自分の悩みをわかっていなかったか、そしてわかろうとしていなかったかを知ることができる時間でした。

なぜ自分の知りたいことがわかったのか

とっ散らかった頭で思いつくままに語っていたのに、いつの間にか自分の悩みが整理されていく。
1人で悶々と考えていたときには投げやりな気持ちになるくらいの悩みだったのに、実はもう答えをもっていたことに気づく。
その上で、自分が本当に知りたいことが自分の口から出てくる。

この過程が自分には衝撃でした。
しかもコーチに特段何をされたわけではなく、自分で結論に行きついた感覚が強い。

なぜこういうコーチングができるのか。
その先輩に聞いた話も合わせ、自分なりに理由を考えてみました。

理由らしきもの1 素朴で素直な問い

前々から自分がイメージしていたコーチングの要素は以下の2つでした。

①本質的で、良質で、よく練られた問い
②本気で相手に寄り添うマインド

1つ目が気になり、コーチに問われた質問を思い返そうとしたのですが、実はあまり記憶に残っていない。(先輩、すみません)

でもこの“記憶に残っていない”ということ自体がすごく気になり、再度考えてみると、実は思いもよらない問いや驚くような問いはあまりなく、ほとんどが素朴で素直な問いであったように思えるのです。

「どうしてそう思うんですか?」
「もう少し詳しく教えてくれますか?」

そんな問いが多かったように思います。
でも、だからこそコーチに依存せずに自律的に思考が回せた

きっとコーチングの技術体系には良質な問いかけのための手法が数多くあると思います。
でもその全てが「相手の思考を回す」「相手が自分で答えを見つける」ために存在するのだと思います。

自分の推測ですが、今回コーチは僕が問いかけに対して比較的早く答えていたのも観察して、より削ぎ落とした素朴な問いを投げかけてくれたのではないかと思います。
だからこそ自分はどんどんと自問自答を繰り返し、自分が本当に知りたいことまで自分でたどり着けた。

きっとこの技術は簡単ではないのだと思います。
自分も小学生に対してコーチング的な手法を使うときに、やたら遠回しだったり考えすぎた問いかけをしてしまい、結局何をしたかったのかわからなくなってしまうことがあります。

勝手な感覚ですが、良いコーチングには引き算の美学を感じました。

理由らしきもの2 相手の関心に関心を持つ

次に考えたのは、自分の先入観的なイメージの2つ目です。

①本質的で、良質で、よく練られた問い
②本気で相手に寄り添うマインド

今回受けたコーチングでは、コーチは本当に真摯に接してくれました。
でもそれはどこか「本気で寄り添う」という言葉にはしっくりきませんでした。

“相手に寄り添う” “相手の目線にたつ” “相手に共感する”

そのような類の言葉はよく聞くし、実際に自分も小学生と対話するときに意識をしています。
でも自分はそんな言葉に対して、昔から少し違和感がありました。
なんとなく、“上から目線”な感覚です。

相手の目線に合わせ、共感しようとしている時点で、どこか自分が上位にいるような気がします。
これは特に小学生と対話するときに顕著で、相手に“合わせてあげている”自分が無意識に存在します。

では、今回受けたコーチングではどうだったか。

コーチは「あなたの関心事に関心がある」という姿勢で常に接してくれました。

「寄り添ってますよ!」と過度な共感を見せつけることなく、本気でコーチングしようと前のめりになり過ぎることもなく、ただただ「私はあなたの関心事に関心があります」という姿勢です。

言葉でこのニュアンスを表現するのは難しいのですが、これは自分にとっては大きな気付きでした。

自分のモヤモヤした感情に、付かず離れずの絶妙な距離感で寄り添ってくれる。
自分が悩んでいることに、ただただ素直に関心をもってくれる。

とても心地よい環境でした。
この姿勢を意識しているからこそ、投げかけてくれる問いも素朴で素直なものになったのだと思います。

これは自分の感覚ですが、
この関わり方を意識的に実施し、かつ成功している小学校教員は多くないかもしれません。

教師と児童という関係性を取っ払おうと努力し、同時に無理に対等になろうと気負いすぎない。
ただただ「あなたの関心事に関心がある」というコーチングのマインド。

子供が悩んでいるとき、困っているとき、もしくはトラブルを起こしてしまったときに、このコーチングのマインドで接することができる教師が増えたら、もっと寛容で穏やかな学校が増えるかもしれません。

一朝一夕には真似できませんが、ぜひものにしたいと感じました。

いい時間だった…

自分にコーチングをしてくれた先輩は、アドラー心理学をベースとしたコーチングを学んでいたようです。
他にも様々な手法があるようですが、共通しているのは「相手が自分で答えを見つける」ことを目標としている点。

自分は小学生と話をするときに、まれに「相手の言いたいことや考えていることを先読みして、勝手にストーリーを組み立て、相手を結論に導く」ようなことをしてしまうことがあります。
これは非常に良くない。

時間がない中で一人ひとりと対話をすることは難しく、それは小学校教員の悩みの種ではあります。
しかし、今回自分がコーチングを体感したことで、その制約の中でも応用できるヒントが見つかったような気がします。

今後自分の仕事の立ち位置が変わっていくことも考えて、いつかコーチングを専門的に学んでみたいなあと感じました。

ともかく、何が言いたいかというと…

コーチングすごい。半端ない。

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