私が好きな美しいもの。

このnoteを書いたきっかけはあきやさんのこちらの記事。

「既存のモノや概念じゃ、納得がいかないんだよな…」というタイミングで、創作(モノを作る、文章を書く、本を作る)への意欲が上がるものだよな…と思います。創作活動をされている方は、そんな経験あるかもしれません。

「納得がいかないから、書き続けている📖」より引用

私が小説を書き始めたのはそういう思いが始まりだったように思う。私が読みたい話がない、じゃあ書けばいい、そんな尊大な思い上がりがきっかけだった。実際はためになったり面白かったり感動したりする本はたくさんあって、私の書きたいことが私以上に面白く文章にしている作家に悔しい思いをしたこともある。
そんな私も今はもう小説を書くことからは遠ざかってしまった。
たまに妄想をはかどらせたりはするけれど、文章に起こすための世界観の設定などを作り込む気力がない。
二次小説も書いていて、それなりに読んでもらえて感想もたくさんもらえたけれど、これはもう自分で読みたい話を書き切ってしまったので終了した。まわりまわって原作がやっぱり至高だと思っている。でも2次創作は楽しいので見てるけどね私は書かないだけで。だって人の数だけ解釈がありその作品に対しての夢や愛がある。それを垣間見ることができるのはありがたいことだ。

noteに関してはまだまだ続いている。もちろん納得できてないことばかりだからだ。

みなさんのコンセプト活動のヒントに「自分が納得がいかないものとは?」と考えてみるのもいいかもしれません💡

私の納得いかないものとは?と考えてみた。
あきやさんのnoteに散らばる「美しい」という言葉。
私が文章を書き続けてるのはやっぱり、まだまだ表現が足りていないのもある。自身が書いた創作物が作り出す美しさ…単純に美しい言葉で美しい文章を書きたい。小説なら英訳されるのではなく日本語でそのまま読みたいと思われるような。夏目漱石の「夢十夜」や稲垣足穂の「一千一秒物語」、佐々木丸美の「雪の断章」、森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」のように独創性がありかつ美しい文章と表現。
昔、誰かに「あなたは純文学を書くといい」と言われたことがある。でもあいにくと純文学を書ける才覚とネタはなかった。一度だけ現代物の短編小説を書いて某小説雑誌に応募したことがある。もう一歩までは行ったけれどそれに満足してかそれ以降短編小説は書いていない。逆に言うとなぜ書けたのか不思議だった。何かに駆られるようにして一晩で書き上げた小説。話は覚えているのでいつか書き直せたらいいなとは思っているが、実現するかは不明だ。

私は美しいものが好きだな、と思う。
美しい言葉、美しい場所。美しい服とアクセサリー。綺麗な花、森、そら、山の景色。古代の建築物。

私は神社も好きだけれど、それは御利益を期待してのものではない。
詳しくはないけれど時を経てなお健在する建造物の美しさや、自然とのコントラスト、静謐な雰囲気が好きだ。鳥居をくぐる瞬間に切り替わる空気。天皇陵にも同じ雰囲気を感じる。その被葬者が本当に天皇であるかは懐疑的な部分も多い。明日香村の天武持統合葬陵のように確定されている陵墓もあれば、牽牛子塚古墳のように斉明天皇陵ではないかと目されながらも、長期間畑の中で墳墓も荒れて石室も見える状態になっている古墳もある。(今は整備され綺麗になりました。行ってないけど)神武天皇陵も被葬者は地域の首長では、と言われている。けれど被葬者云々ではなく、過去に生きた人に畏怖を持って祈りを捧げてきた人たちの思いが陵墓を区切る鳥居の向こうにある。それはとても美しいと思うのだ。

同じ理由で仏像も好きである。好きな理由はほかにもあるけれど伽藍の美しさや流れるような衣装の美しさに魅了される。
また私は熊野が好きであることを前に書いたように思うけれど、幼い頃から家の前を流れる熊野川が好きだった。
エメラルドグリーン、あるいはターコイズともいえる吸い込まれるような青い色はどこまでも美しい。行ったことはないけれど支流をご神体にした神社もあるそうで、写真を見たら鳥居の向こうに流れる川の美しさに納得した。また美しい川を神として祀る人々の心にも胸を打たれる。
リンク貼っておこう。

他に好きなものを備忘録的に上げておく

神戸北野の異人館
伊勢神宮境内の五十鈴川


松阪市の飯野高宮神社
公園の桜

mmmのアクセサリー
PATTERIEのアクセサリー


リーガルのローファー
紅梅




赤の絨毯

今回はこんな感じで。
これからも美しいと思うものを残していこうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?