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【BanG Dream! It's MyGO!!!!!】もう迷わない、なんて言わない。

本記事は2023年夏放送されたテレビアニメ『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の感想・考察文となっています。ネタバレ満載なので未見の方は非推奨。

視聴し始めたきっかけ

 私は元々バンドリシリーズを追っていなかったので、初めて観るまではそもそも新作アニメがあることすら知りませんでした。
 そんな私が視聴し始めたきっかけは、ある日兄弟がリビングのテレビでMyGO!!!!!の録画を観始めたことです。1、2話は既に観ていたようで、その時は三話からでした。先述の通り、当時の自分はバンドリシリーズにさしね興味を抱いていなかった為自室に戻ろうかとも思いました。
 しかしこの時1〜3話を一挙放送したということを知って、思い切ったことをするなぁと驚きつつ興味が湧きました。
 そんなこんなで私が初めて観た回は、燈の主観視点で進む第3話でした。奇跡的に、そこから観ても内容が理解できる回。また後で詳しく書きますが燈には共感できる部分も多く、「立希……燈のこと守護まもってやってくれ……!」と心の底から祈ったことが私とMyGO!!!!!の最初の触れ合いでした。
 ですがその時はまだ自分から履修し始める程の情熱は無く、件の兄弟が観ている時に出くわしたら観るか、ぐらいの気持ち。
 そうして次に観たのは第5話。私はここで初めて愛音の存在を知ったので「誰よその女!!!!」「お前、燈の何????」と内心思っていましたが、急に滅茶苦茶辛い過去が出てきて心が締め付けられました。と同時に「バンドリってこういう話もしっかりやるんだ!?」(元々「バンドリってポップな作品なんだなぁ」くらいの印象だった)と興味がより湧き、過去作を知らなくても楽しめるとの情報もあったので自分から追うことを決意しました。

というわけでここからは感想です。

総合的な感想

「観るカウンセリング」

 物凄く懐の深い優しいアニメだなぁと思いました。
 誰かを傷つけてしまったり、誰かに傷つけられたり、それを悔やんで苦しんだり、でも「それで終わりじゃないよ」と力強く言ってくれる。MyGO!!!!!の皆のような言動に所々身に覚えがある人はとても勇気付けられると思います。自分はそれぞれの良くない部分を悪魔合体させたような存在なので本当に皆共感できて本当に大好き…愛おしい……love………
時に何故「観るカウンセリング」などと銘打ったかと言いますと、この作品が視聴者にしてくれる「共感」「肯定」はまさしくカウンセリングの本質だからです。カウンセリングとはカウンセラーの立場から答えを与えてあげるものではなく、相手の目線に立って共感、肯定をして自立を促すものです。一方的に答えを与えるだけだと自立できないどころかカウンセラーに依存してしまう危険性すらあるので。
そういう訳で、この作品の有り様は「観るカウンセリング」と呼ぶに相応しいと思いました。
世間とのズレを感じても、つい攻撃的になってしまっても、過去に縛られていても、見栄っ張りでちょっと短絡的でも、そんな自分が嫌いでも、嫌いな自分とどう向き合ったら良いか分からなくても、そのまま進んで良い、生きていて良いんだと叫んでくれるこの作品は本当に懐の深い作品だなぁと思います。

第四の壁が崩れ去る「ライブ」

でもこの作品はそれだけじゃなくて、きちんと「音楽の力」の可能性を示してくれたことも本当に真面目で誠実で、とても覚悟が決まっているというか肝がすわっているなぁと感じました。
7話から9話までの展開は本当にもうこれ以上の地獄は無いだろうと思うぐらいの空気になっていて(MyGO!!!!!メンバーの話でないとはいえ後に更新されてしまった)、「これどう解決すんねん……」と頭を抱え、しかし何も思いつかないまま一週間が過ぎました。長い長い一週間でした。
そして10話を観て思い出しました。
――そういやこれバンドアニメだった!!!!
「歌って伝わる気がする」。これをこんなにも説得力のある形で実践したのは本当に勇気が要ったんじゃないかなぁと思います。会話は無しに、ただ詩で、歌で、ライブで全て伝えて納得させるというのは。そよの一件を「許せない」と思う視聴者はそれなりに居たんじゃないかと思いますが、それがあった上でこういった解決方を採って「ご都合主義だ」と視聴者に思わせること無く(人によるとは思いますが少なくとも自分はそうだった)、説得力のある描写として描き切ったのは本当に凄いことだと思います。
巧いと思ったのはまずこの前段階として「立希が燈の詩に心を動かされる」パートがあったこと。立希が燈のこと好きになったのは「燈の歌に共感して感動した」ことがきっかけというのはCRYCHIC時代の話やこれまでの言動で描いているので、燈の詩が改めて立希の心を動かしたというのは突然のご都合主義などではなく、(敢えて論理的な言い方をするなら)根拠・伏線のある極めてロジカルな描写とも言えます。だから説得力がある。それを踏まえた上でのあのライブだから、というのがあのライブの説得力を高まる要因の一つなんだと思います。
もう一つは皆が本当に傷付けて、傷付けられてきたのを視聴者が知っていること。だからこそ、その本気さ、必死さも伝わってくる。歌も涙も演奏も、薄ら寒いものなんかに感じない。
最後の一つはやはり、映像表現と楽曲自体のクオリティだと思います。一つじゃねえじゃん。まぁ要するに根拠とか伏線とか人間ドラマとか、そういうの抜きにした部分の凄さです。
MyGO!!!!!は「"現実リアル”と”仮想キャラクター”が同期するバンド」とのことですが、それが話の構成だけでなくライブにも如実に現れているなぁと感じました。過去作のライブ映像を観ていないのでMyGO!!!!!だけの特徴か分からないのですが、彼女達のライブのカメラワークは「観客」視点と「MyGO!!!!!メンバー」視点を行ったり来たりするようなものが多かったと思います。
ここ「観客席」視点ではなく「観客」視点なのが本当に良いなぁと思いました。視聴者もまた観客の一人になれる。そして観客とバンドのメンバー達とは、ライブの間だけはお互い意識し合う存在になります。つまり第四の壁ごとぶち壊されるんですね。
というのを10話や12話のライブで理解わからされました。我々画面の前の視聴者が、画面の向こうの燈達と繋がれる。まさしく"現実”と”仮想”が同期しています。それ故彼女らの「歌」がよりダイレクトに伝わってきたように感じました。
こういう手法を採るの、相当自信と勇気が無ければできないと思うので凄い。

各キャラ感想

という訳でここからは各キャラへの思いの丈を綴っていきます。順番は結構バラバラ。

Vo. 高松 燈

自分自身コミュ障で、昔から自分の意図を上手く伝えるのが苦手だったので、燈の心情は本当に共感できる部分が多かったです。独特な感性を持ってるかと言えばそうでもないし虫とかもバリバリ苦手なので、単純に会話が下手なだけというか、コミュ障のタイプとしてはちょっと違うのですが、それでも共感できるシーンは数多くありました。
まず3話。もうほぼ全部、歌声聴くまでずっと「すっげぇ分かる〜〜!!!!」と思いながら観てました。皆と居るのに独りに感じるのも、自分も所属するグループの会話が自分抜きで進んでいってただただ視線をあっちへやったりこっちへやったりするしかできないのも、普段から声が小さくて人前で声出すのは苦手なのも、全部身に覚えがあって心が苦しくなった。自分は燈と比べると捻くれてるので祥子に対しては「もうちょっとコミュ障のことを慮ってくれ〜!!!!」とか思ってたんですが燈的にはむしろパーフェクトコミュニケーションだったっぽい。やはり俺では燈のことを分かってやれない………!!
そしていよいよライブパート、春日影のシーンに来てけっこう呑気していた私もこれには驚きました。歌滅茶苦茶上手いじゃん!!!!!!!もう完全に「燈のファン」になりました。この辺か
立希と完全に同調し始めた。ので、ここからのシーンで何を思っていたか態々書くまでも無い(こいつ、燈のこと何にも分かってない!)。
これ以上は立希の話になっちゃうのでまた後にして、燈の話に戻ります。
燈が祥子を待って練習していなかった理由、改めて文章化しようとしたら実は具体的にはあんまり語られてなくて困った(「燈はお前を待ってたんだよ!!!」は"待ってた理由"の説明にはなっていない)んですが、後々できた「碧天伴走」や「詩超絆」の歌詞を見るにもしかしたら「祥子こそが自分の歌を伝えたい相手だったから」なのかなぁ……とか思いました(春日影は明らかに祥子に向けた歌なので)。咲き誇る大切な人……………………。
時は過ぎ去って本編時系列ではバンドに対してトラウマを持っていた訳ですが、愛音との邂逅をきっかけにようやく前に進み始めました。3話の次に観たのが5話だったので、水族館のシーンではもう「成長したね〜〜!」と親戚のおじさんかおばさんみたいな感じで胸が熱くなりました。そして再び歌えたのも、歌うことで想いを曝け出せるようになったのも、まずCRYCHICがあったから、祥子と出会ったから。更に言うならそれは燈が花びらを掴もうとしたから、そしてその行動は燈が「人間になりたい」と言って遠ざけたがっていた独特な感性に起因するもの、と考えると、「迷子でも進んで良い」というのを体現しているなぁと思います。まぁこれはMyGO!!!!!のキャラ皆そうですね。
自己嫌悪にも繋がるようなその人の個性を、「切り離せないものである」というのを描きつつ「長短所どちらにも転じ得る」とも示してくれるのは本当に嬉しかったです。
最後どう締めよう。
燈が可愛いのも歌が最高なのも当たり前だから!!!!!!!

Dr. 椎名立希

私が燈に対して抱いている感情は立希のそれが一番近いので、変な仲間意識があります。推してる相手を神聖視しちゃって却って気持ちがすれ違っちゃうの、あるある。自分の場合推しの側には居られないのでそれすらありませんが、そうなっちゃう気持ちは痛い程分かります。
第一印象は「口悪ぅ…」とか「お姉さんのことでコンプレックスとかあるのかな」とかだったんですが、「燈はお前を待ってたんだよ!!!!」のシーンでは「よう言うた!」と拍手喝采していました(まだ祥子側の事情の重さが分かっていなかったので「甘ったれたこと言ってるのはそっちだろ」などと思っていた)。
燈のことを大事に想うが故に燈の気持ちに反する言動をしてしまう場面が多々あり、哀れ…と思いつつも「その無条件の肯定はいつか必ず燈の助けになる筈…!」と思って観てました。何か辛い現実に立ち会って心が折れそうになった時、こうやって励ましてくれる人が居ると心強いものだと思います。燈にはあまり気持ちが伝わっていないようですが、少なくとも「燈の歌は最高だった!」(「話し合って!」と愛音に言われたシーン)と言った時は力になってあげられてたんじゃないかなぁ…燈のみぞ知る。
口は悪いけれど正直に意見できるところ(燈は例外)は憧れます。空気は悪くなるかもしれないけど、そういう正論と向き合うのも、時には必要なことだと思います。でも学生時代のグループワークの時とか、自分はそういうこと言いたくなっても空気悪くなるの恐れて我慢するタイプので、そういう所立希は凄い……。キツい物言いしちゃった時はなんだかんだ後で反省してそうな所も好きです。というか顔が良い。好き。パンダ好きすぎて私服がパンダカラーなのも好き。パンダやそのグッズを前にした立希からしか得られない栄養素がある。ライブ中のあの笑顔も大好き。凄く楽しそうで生き生きしてて、あんなの同級生が見ちゃったら狂う〜〜!!!!だってなんだか近寄り難くて机に突っ伏してることも多い、あんまり顔見ない一匹狼の同級生があんな顔してるのをいきなり見ちゃうんでしょ!?!?脳が焼かれる!!!!!!

Gt. 要楽奈

野良猫。"バンドアニメ"の化身だから人間関係の問題には関わってこないのかなぁとか考えてました。ギターめちゃうま。やりきったかいの意志を継ぐ者。かわいいね…抹茶パフェあげちゃう………とか気軽に言うと何個も奢らされそう。
"居場所"の話はソシャゲの宿命である「サービス終了」の話にも思えてなんだか気が気ではありませんでした。もし本当に公式がこれと向き合おうとしてるのだとしたらそれはまたなんか…凄いなぁ…としか言えない。さっきから凄いばっかで語彙が消えてる。
キャラとしてはなんだろう。トリックスター?他の皆と違って「共感するなぁ」とか「自分と同じだ…」と思う方はそうそう居ないと思われるので造形としてはちょっと異質。リアル調のキャラが多い中での野良猫白髪オッドアイギターめちゃうま中学生とかいう属性てんこ盛りなキャラが居るというのは、やっぱりそれ自体に何か意味がある気がするというか、最初に言った「バンドアニメという概念の化身」というのがあながち間違いでもないのかもしれません。実際どうなのかは知らない。
小難しいことを抜きにして語るなら普段のだらんとした感じとライブ中の生き生きした顔とのギャップが好きです。7話で初めてあの顔見た時びっくりしたよね。こんなの普段の姿知ってる子が見たら(略
あとあの話し方もかわいいね…。舌っ足らずではないがだらんと力の抜けた、それでいて何言ってるかはちゃんと聞き取れるという絶妙な塩梅の声。青木さん凄い。アニメからはちょっと離れるんですが無路矢の超高音ボイスも初めて聴いた時の驚きも凄かった。人間ってあんな声出せるんだ。らーなすごいな…飴ちゃんあげたい……。

Ba. 長崎そよ

このアニメの中核を担っていたと言っても過言ではない。勿論大好きです。
最初はやめさせていただきますわのシーンを観て「空気を宥めようとする言葉、他人へ投げ掛ける言葉ばかりで自分の主張が一切出てこない……?妙だな……」とか提案しても誰も座ってくれないのを観て「何一つ自分の主張が通ってないな…あっ唯一愛音だけが思い通りに動いてくれてる!!!この二人の関係性絶対何かある!!!!」とか思っていました。何かありまくりだった。ヤバすぎ。
自分は固執する程の何かを得たことがまだ無いのでその気持ちを理解し切れているわけではないと思いますが、あの生い立ちを考えればああなっても仕方ないなぁ…と思ってはいました。あと自分の主張は抑えて空気を良く、八方美人に、みたいなのは大変身に覚えがある(自分の場合やろうと思っててもそんなに上手く行ってないけど)ので、そういう部分も共感しました。私の座右の銘は八方美人です。
「私ね、燈ちゃんの歌詞――前から苦手だったんだ」というセリフが作中に存在することは例の広告で知っていて、途中までは愛音の可能性もあるかなぁと思っていたんですが8話9話であれそよのだなと確信しました。だって「栞」の歌詞ってまんまそよにも当て嵌まるんですよ。そして自分のそういう所に向き合ってこなかった、向き合わないようにしてきたんだろうというのがおためごかし噴水広場の一件でなんとなく分かったので、「燈の歌は自分の向き合いたくない部分そのものだから受け入れ難いんだろうなぁ」と。最終回で予想が大当たりしてガッツポーズしました。こういう理由でMyGO!!!!!の歌をどうしても受け入れられない人というのは必ず居ると思うので、そういう人達の受け皿として彼女達(後述)が産まれたのかなぁと思うと、このセリフは正しく彼女らへのバトンタッチの役割を果たしているんじゃないかなぁと思います。このアニメの中核と言っても過言ではないと言ったのはこれが理由です。
話を戻して8話9話辺りの描写、特にLINE鬼連投とかは「実際にそういう激重案件がある」というのをあるネット掲示板で数スレに渡って語っていた人が居たのを見たばっかりなので、ちゃんとリアルさ生々しさを覚えつつ観ることができました(プラスの意味で言っています)。正直痛々しくて観ていられなかった。同時に「自分も一歩間違えたらこうなりかねないんだよなぁ…」と思うと責める気にもなれませんでした。私事ではありますが、MyGO!!!!!にハマり始めるちょっと前くらいに精神状態が滅茶苦茶落ち込んでた時期がありました。原因は「やるべき事を溜め込んでたせいで趣味の時間が全っ然取れてなかった」っていうただそれだけのことで、周囲が見れば100%お前が悪い、と言われるようなことです。それでもそんなの分かった上で、私にとっては非常に深刻な問題でしたし、「もう全部無視して投げ出したらどんなに楽だろう」なんて考えが過ぎったことも何度もありました。実行には至らなかったので今があるんですが、それを思うと………

話を戻して、一体ここからどう持ち直すんだと頭を悩ませていたところで10話ですよ。ヤバい。初華との邂逅を経て燈が詩をうたい始めた辺りから「風向き変わってきたな」と思いつつ観進め、「愛音ちゃん、要るよ!!!!」「…燈ちゃんのせいだよ」も飛び出し場が最高に温まってきたところで「私が終わらせてあげる」(!?!?!?)(バンドアニメのセリフか???)でまっこと不謹慎ながらフロアのボルテージは最高潮へと到達致しました。どう終わらせるつもりだったんだろう。
そよは果たしてこのままで、自分のやらかしたことと、自分の弱さと向き合えるのか、そうなるビジョンがさっぱり見えていなかったのにライブが始まってからはもうそんな考えが吹き飛んだ。これまでの経緯生い立ちを観た上であんな泣き顔を観れば「よかったね………幸せにおなり…………」以外の感想なんて出てこない………。
そこからの11話がもう空気ウマすぎて凄かった。連れて行きたい場所ってここだったのか?ゆにこ先生………とか思ってたら「まだ連れて行きたい場所、ある」とかTwitterで呟くもんだからびっくらこいた。
それはそうとこれからずっとこのトーンと性格で行くのかと思うとワクワクしますね。心地良すぎる。こんなキャラ初めて。こんなんずっと観せて頂いて良いんですか????ありがとうございます!!!!

Gt. 千早愛音

恐らくMyGO!!!!!メンバーの中では楽奈の次に私からかけ離れた存在。なのに何故か全く苦手じゃない。コミュニケーション能力の高さや行動力等に関しては本当に丸っ切り自分と違うのですが、何かに手を出してはやり込むことができず辞めちゃう、を繰り返していたらしいことが部屋に置いてあるものから分かったり自主練サボりがちだった時期だったり、そういう部分はとても共感できます。なんだかんだああいうの後回しにしちゃうよね。動画サイトは時間泥棒。
色々と燈と対照的な部分がありますが、「"離したくない"と思えるものがこれまで無かったけど、ようやく見つかった」という点では同じなんですね。今気付いたけど全然他のメンバーもそうかもしれん。見切り発車で書き始めたのでそういうとこぐちゃぐちゃな文になってますごめんなさい(迷子でも進め!!)。因みにですます口調とキモオタクが交互に入り乱れるのは迷子だからとかじゃなく平常運転です。これが私の感想文バトルスタイル。
見栄っ張りで短絡的で無遠慮なところもありますが、普段の人間関係でも燈に対してもそれが逆に良い方向に働いているように感じます(燈に関しては結果論的な話になりますが)。相手を問わず正直に意見できるのも無遠慮さ、短絡的な部分と裏表。そして見栄っ張りは愛音が力を発揮する為のエネルギーとなっています。自分の特性を上手く活かせている印象。世渡り上手だよね。
逆にそういう部分が一番裏目に出てしまったのがロンドン留学。全然同じ経験ではないんですけど、自分も人前で何か発表したりとかになると「上手くやれるだろうか」という緊張や「もしかして自分の用意したものは場違いなものなんじゃないか」「でも今更変えられない」という恐怖でてんでダメになってしまうので、あの時の愛音の辛さは痛い程分かります。状況こそ違えどあの痛みは同じ方向性だと思う。視聴中感じた痛みはそんな感じでした。一、二を争うほど観ていて辛かった。同時に、辛さを感じた上で観進めていくのが一番楽しめそうだなとこの時思いました。この物語との向き合い方を決めた瞬間です。結果的にこれだけ色んなものを貰ってしまったので本当に安い対価になってしまった。
話を戻して、愛音の持ってる特性って本来なかなか好きになることは無いと思うんですが、愛音の場合はそれひっくるめて愛おしいんですよね。たぶんしっかり反省できる子だからだと思います。それがちゃんとできるのは偉い。立希も偉い。だからこそそよは本当に"反省"まで行けるのか?大丈夫か?と不安だったんですがその不安がぶち壊された話はもうしなくていいですね。
祥子と役割的には似ているところもあれど、やっぱり太陽と言うのはちょっと違う気がします(祥子が太陽なんて話したか?)。太陽ほど明るくなくて、太陽よりずっと身近で、ちょうど良い暖かさで、でも吹けば飛ぶような儚さもある。そう、つまり千早愛音とは焚き火のような存在だったんですね………そしてその火はやがて他の皆にも灯っていく……その灯火消さないでいて…。



というわけでMyGO!!!!!の感想は以上となります。
ここからは………

Ave Mujicaとは

MyGO!!!!!!と表裏一体のバンド、Ave Mujicaについて考察メインの感想を語っていきます。

それまでは中身が誰かが公然の秘密となっていたくらいで他の情報はあんまり分かっていなかったんですが、12話でどうやらゴリゴリにMyGO!!!!!と対比関係キメたバンドであるらしい、というのが分かってからはそれはもう興奮してすぐに公式チャンネルで曲を一通り聴きました。オタクはこういう関係がすき。
「"現実"と"仮想"が同期するバンド」かつ「迷子でも良い、迷子でも進め!」を体現するバンドであるMyGO!!!!!は、「自分の弱さ醜さを受け入れ前に進む」という剥き出しの在り方故にどうしても苦手な人が生まれます。そよが言ってたのがまさにそれですね。
そういう人たちを悪だなんだと否定するのも厳し過ぎるというか残酷過ぎるというか、できることならそういう人でも生きやすい世界だったら良いなぁとは常々思っている(ホントか?)のですが、Ave Mujicaは彼らの救いとなる存在なのかもしれません。
MyGO!!!!!を「虚構を現実に接続し向き合わせるバンド」とするならAve Mujicaは「虚構に引き込み現実を忘れさせてくれるバンド」なんだと思います。「――Ave Mujicaの世界へようこそ」という言葉が全てな気がする。"仮面"で"素顔"を覆い隠すというのも象徴的。
何度も言われてるように燈、引いてはその歌って"重い"んですよね。その重みが刺さる人にはとんでもなく刺さるのですが、受け入れられない人にとっては苦しい重しにしかならない。そよの様に覚悟が無ければ向き合えないんです。
一方Ave Mujicaは異世界。徹底的なまでに"造り"こまれた、何から何まで"設計"された世界。そこに見たくもない"現実"が入り込む余地はありません。だから当人達の(というか祥子の)覚悟の重さとは裏腹に、観客は軽い気持ちで楽しめると思うんですよね。だって自分は安全圏に居られるから。それは多くの物語がそうだと思います。至極当然のことです。どんな物騒な物語でも、自分は安全圏に居られるから楽しんで観られるんです。
でもMyGO!!!!!はそこから引き摺り出して向き合わせてくる。その果てが「肯定」であったとしても、人によっては道程で果ててしまいます。下手なホラーより怖いかも。
そんな人々にとってAve Mujicaはまさに甘言が形を成したような存在でしょう。Ave Mujica(歌の方)の歌詞もそれを何より示していることと思います。
でもそういった在り方には危うさも感じます。MyGO!!!!!の時点でただでさえ「何の見通しも無く進んで良いってこと?」とか「どれだけ間違って迷惑掛けても良いってこと?」みたいに想定から転げ落ちた解釈をされかねない危うさがあった(それを自覚した上でそうさせまいという気概は勿論充分に感じられたので、よっぽど無いとは思う)と思うので、更に踏み込んで「現実逃避」の肯定をするAve Mujicaの在り方はとても危うく感じられ、果たしてどう調理していくのかシェフの腕前に期待といったところです。今の所期待と不安が8:2。MyGO!!!!!で得たゆにこ先生への信頼から来る期待とワンチャンシリーズ構成の人違うんじゃないかという不安です。変わらずゆにこ先生なら心配要らないかな…。

話変わってAve MujicaとMyGO!!!!!の対比構造の話。実際どのくらい対照的なのか?調べてみました!

MyGO!!!!!

・学生のアマチュアバンド
・目的は無い
・初ライブ後に名前が決まった
・現実の想いを綴った歌
・歌以外でも全てを曝け出している(初ライブの時の自己紹介とか)
・「もしこの雨が上がっても忘れずに歩いてくよ」
・「一生、やろう」
・迷いながらでも進む
・MVごとにバラバラの世界観
・方位磁針と風車が一体になったようなシンボルマーク(一定の方向を示さずくるくる回る方位磁針を表している?)
・それぞれが生き生きしている(個人的な感想)

Ave Mujica

・いきなりメジャーデビュー
・目的は最初から設定済み
・造りこまれた世界観
・虚構(物語)に合わせた虚構の歌
・仮面で顔を覆い、ライブ中のMCも全て劇(虚構)
・「全部忘れさせて」
・「貴方の一生、私に下さいます?」
・全MVで同じ絵柄、同じ世界観
・歯車と∞のマークが取り入れられたバンドロゴ
・それぞれの良さが死んでいる(顔やら何やらの人気で選んでるのに顔を隠してるからこう思ったけど別に演者公表してる可能性は全然ある。でも現実だとそのライブの時はまだ公表されてなかった筈だから違うんじゃないかな…)

いかがでしたか?
こうして見ると滅茶苦茶対比だと思います。
あと確証は無いんですけど、「Ave MujicaはMyGO!!!!!とゴリゴリ対比構造になっている」を真とした場合、たぶんAve Mujica公式チャンネルの片仮名タイトルの一連のストーリー、たぶんMyGO!!!!!メンバーの日常/まいご!!!!!と対になるものなんだと思います。それぞれ虚構と現実なので。対照的が過ぎるだろ。


大体話したいこと終わった気がするので各キャラの話に参ります。感想文コンテストの締め切りが近づいてきてヤバいぞ(現在9/21 21:25)。

ドロリス/三角初華

このアニメのキーマン。出番こそ少ないものの、出るシーン殆どで物語が動くきっかけとなっています。俺この子のことよく分かんねぇ。何故なら描写が少ないから!!!!!Ave Mujica編で本領発揮だろうから当然だとは思いますが、夢とか欲望とか、芯にあるものが何なのかまだ分からないので表面の人となりもどこまで信じて良いやら分かりません。個人的には信じたい。

ティモリス/八幡海鈴

立希の理解ある彼女。ではない。
現状分かっているのは滅茶苦茶良い子かつノリが良いおもしれー女(女の子、でしょ?)ということだけ。君は一体何なんだ。彼女の内面が観られるだろうというのがAve Mujica編が楽しみな理由の一つです。

アモーリス/祐天寺にゃむ

二番目に衝撃的でした。結構腹黒タイプということで愛音と似てるのかも。なんとなく全員MyGO!!!!!メンバーと対比なのかなぁという君はします。現状分かってる情報が少ないんですが、マジでバンド経験なんぞ無い状態から始まったのかそれとも多少経験はあったのか、どっちなんだろう。

モーティス/若葉睦

きゅうりの妖精。Ave Mujicaメンバーの中では恐らく一番共感できる部分が多いんじゃないかと思っています。何故なら自分も睦タイプのコミュ障だから。たぶん燈以上に相手の言葉の裏が読み取るのが苦手なんだと思います。でも質問には真面目に誠実に正直に答えるから、言わない方が良いことでも良かれと思って言ってしまう。睦も後から後悔したりしてるんでしょうか。
「バンド楽しいと思ったこと、一度も無い」の真意は
(みんなは友達だし一緒に居るのは楽しいと思ってるけど、今聞かれてるのはたぶんバンドのことで、バンドが楽しいと思ってるわけじゃないからつまり正解は………これだ!)
みたいな感じなんじゃないかなぁと考えています。「よかったね」と一歩引いた発言が出たのも、そもそも皆程バンドにのめり込めていなかったから、でも皆が喜んでるのは嬉しいから出た言葉なんじゃないでしょうか。
幼い頃から理解者(祥子)が居て、想いを伝える手段(歌/詩)が無いアナザー燈とも言えるかもしれません。

オブリビオニス/豊川祥子

燈にとっては今でも、咲き誇る大切な人。でも彼女もまた、太陽でも神でもなく一人の人間だった。関わる女の人生を片っ端から壊していく重機か怪獣みたい女(の子)です。
第一印象は「純粋箱入りお嬢様過ぎて将来が怖い」だったんですがなんか予想以上に大変なことになっててびっくらこいた。驚天動地の最終回過ぎる。
何故Ave Mujicaを始めたのか、詳細はまだ分かっていませんが7話のライブがきっかけなのは間違い無さそう。
「自分だってバンド続けたかった」「でもそんな余裕無かった」「そんな力は無かった」「だから忘れようとしていたのに」
そんな想いが伝わってくるような涙でした。今思えば、態々あのライブに足を運んでいたのは未練を断ち切る為だったのかもしれない。あの時酷い切り捨て方をしてしまった燈達がちゃんと前を進めているのかどうか、ちゃんと自分を忘れてくれたかどうか、それを確かめることで、安心して全てを忘れようとしたのでしょうか。
結局それはできず、自分と向き合うこともできず、「弱い私はもう死んだ」と吐いて捨てた祥子。「死ぬほど辛い」けど向き合う覚悟を決めたそよとは対照的です。また「死んではいけませんわ!」と燈を止めていた頃のことを思うと色々思うところがあり………胸が苦しい……。
お嬢様口調を徹底して崩さなかった祥子が最後の最後に放った「クソ親父」の火力はそれはもくとてつもなかったです。絶句したもん。え?これバンドリだよね?って…。
「音楽の力」を謳う作品(と私は認識している)である以上、「音楽を楽しむ余裕なんか無い人も居る」という現実から目を背けては説得力に欠けるとは思います。思いますが、それにしたってこんな話はかなりの覚悟が無ければできないんじゃないだろうか。とりわけバンドリは、結構ポップな作風が目立っている印象でした。少なくともほぼ知らん人(私)の目にはそう映っていた。実際ハロハピとかいうリアリティラインぶっ飛びバンドも居るらしいので、あんまり間違いではないんじゃないかと思います。
何年も前のことなのでどういう意図の発言だったか覚えてはいないんですが、中学の頃の音楽の先生が「音楽は楽しまなかったら"音が苦"」、みたいな話をしたことがありました。口酸っぱく言っていた訳でもなく、ただなんとなく印象に残って今まで覚えていたのですが、今の祥子は正に"音が苦"の状態なのかもしれません。ただただ、音楽が辛い。でも大好きだった音楽を"手段"に貶めてるつもりなのに心の奥底では"目的"に戻っていた…なんてことがあると大変私好みです。
さておき、こういった人々と向き合おうと決断したバンドリ運営には敬意を表します。伝えたいメッセージに対してとても真摯。でも覚悟キマりすぎてちょっと怖い領域。Ave Mujica編の話がどこへ向かっていくのかまったく予想できません。


うーん書きたいこと大体書き切ったかな。たぶん書き切ったでしょ。またなんか思い出したら加筆します。
という訳で締め。

さいごに

これまで読んできてくれた方なら分かるかと思いますが、私はMyGO!!!!!が大好きです。MyGO!!!!!の全てが、清も濁も正も邪も善も悪も迷いも決断も強さも弱さも全部が大好きです。全てがあるからこそ大好きで、とても愛おしいと思います。
「強制的に現実と向き合わせる」なんて意地の悪い書き方をした箇所もありましたが、私としては弱さも醜さも受け入れて、現実に立ち向かう勇気をくれるような、種火を分けてくれるようなMyGO!!!!!の在り方が大好きで、それに大なり小なり救われた部分があるし将来救われることもあると思います。それ程この作品は私の心に深く突き刺さり、浸透していきました。
だからこそ、シリーズ構成の綾奈ゆにこ先生並びにその他制作スタッフの方々へは感謝も敬意の表明も、してもしても足りません。
この作品の制作へ携わった全ての方々、そしてこれまでバンドリを紡いで繋いできて下さった全てのバンドリーマーの方々への多大なる感謝をもって、この感想文の締めとさせて頂きます。


MyGO!!!!!と出会わせてくれて!!!!!
ありがとうございます!!!!!!!!!!!!



やりきった。まんぞく。

2024/5/27 追記
光栄なことに、【BanG Dream!(バンドリ!)運営チーム賞】を受賞させて頂きました。ありがとうございます!
…というような反応をTwitter(現X)の方では当時していたのですが、こっちに書くのをすっかり忘れていました。今更にはなりますが、気付いてしまった以上まぁ書いた方が良いのかな…でもただ自慢してるだけなんじゃねえかな…と迷った挙句一応書くことにしました。迷子でも進め!


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