自分のこと⑤
わたしという人間は、どんな人なのか。
どんな育ちかたをして、どんな経緯をへて、今に至るのか。
43歳の現在まで書いていった結果、何回編になるのか未定ですが、これからしばらくの間、つれづれなるままに書いていってみたいと思います。
→ 今回が最終回です!
1.自分のこと①〜④のまとめ
●自然豊かで、バスもろくに通らないような、住人みなが知り合いの小さな集落。どこにいても、何をしていても、誰かしらに見られている、逃げも隠れもできないプライベート筒抜けの環境で、窮屈さを感じながら育つ。
●父は虎のような眼光を放つ、血の気の多い人。事あるごとに震え上がるほどの怒鳴り声を発していたため、その恐怖体験から、全てにおいて叱られることを極端に恐れるようになる。また、父親へ甘えるという経験の欠落から、ファザコン傾向が形成される。
●母は少女っぽさが残る姫のようで、ときにカラス相手に真剣に説教するような天然キャラ。加えて、心配性で、極端な悲観主義。こちらが守ってあげたくなるような存在であったため、心配をかけぬようにと、母の心理面への影響を優先して、物事を選択するようになる。
●田舎の本家で後継ぎ男子が望まれるなか、望外の次女として誕生したため、父や祖父母ががっかりしていたと8歳にして聞かされ、「わたしは要らなかった子なのだ」と認識。深い悲しみと絶望感を抱えながら生きることとなる。
●真ん中っ子で、家族関係がよく見える立ち位置にあったため、意識せずとも自然と、自分が置かれている状況や、その状況で最適と思われる言動を察知する能力が磨かれる。
●この、望外の次女+真ん中っ子という組み合わせから、「望まれない存在の自分が存在することを許されるためには、せめて親を困らせないようにしなければ」という気持ちを起点に、つまり、他人を軸とした言動を選択するようになる。
●次第に、他人軸の選択がデフォルト化し、そもそも軸が他人にずれている自覚すらなくなっていく。
●思春期の人間関係の困難さも加わり、目の前の現実をとりあえず生き抜くための生存戦略として、本来のピュアな自分へと繋がる扉を完全に閉ざしてしまい、自分の本心を知ろうとすることすらもやめてしまう。
●自分の本心を認めようとせず、見ようともせず、自分を置き去りにした選択を重ねたことで、次第に、本心に蓋をした選択をしている自覚も失っていき、怖れからの選択を本心からの選択と誤解したまま、その後の20代、30代を歩んでいくことになる。
●大学進学と同時に実家を離れ、自宅がありのままの自分で過ごせる環境になったことと、深く共感し合える友人との出会いに恵まれたことなどから、徐々に、それまで押し込めていた自分が解放されていく。
●自己の解放とともに、閉じ込めて見ないようにしていた傷も顕在化し始める。ファザーコンプレックスや孤独感、承認欲求が癒えていないため、偏った恋愛ばかりするとか、将来への不安感や親(=他人)に遠慮する気持ちから、純粋に興味関心のある仕事を選べないなど。
●紆余曲折ありながら、就職もし、そのまま10年ほど走り続けた30代半ばに、自らの在り方に疑問を抱き始める。
2.自分のこと⑤ : 違和感を感じはじめた30代半ば、なによりも自分を大切にすると決めた40歳の始め
前回の記事に、3箇所目の派遣先に就職したことを書きましたが、正社員への登用をお声がけいただいたときは、実は、ものすごく迷いがあったのです。
おそらく、心の片隅では、就職すること=自分の望む生き方を実現することではないと気づいていたからだと思います。
今思うと、「(人間的に)なんとなく魅力を感じるなぁ…」と感じていた派遣社員の方々があっさりと辞めていかれるたびに、もやっと感情が動いていたので、その出来事も、私に、「あなたは本当はどうしたいの?」と問いかけるサインだったかもしれません。
ですが、本心うんぬんでなく、意識はただ、目の前の現実だけに傾いて、
「このまま派遣社員でいたら、歳を重ねたころには、どこからも必要とされなくなってしまうかもしれない」
「もうすぐ30歳だし、正規という形で就職して、安定した収入と福利厚生を手にするには、これがラストチャンスかもしれない」
「『この会社では派遣社員は正社員にはなれない』と言われていたなかで、実現の一歩手前までこぎつけた今、チャンスを手放したくない」
そのような思いが、就職への決断を後押ししました。
不安感や承認欲求という、怖れの感情です。
でも、怖れの気持ちから選んだことは、ある程度のところまではいけても、限界が訪れるものなのかもしれません。
確かに、就職したことで、収入も増え、いったんは生活も安定したように思えました。
ですが、仕事を続けながら、結婚し、子どもにも恵まれ、夫と連帯債務でマイホームまで建てた30代半ばに、「私はなにか大きく逸れてしまったのでは?」という気持ちが、ときどき、ふっとわき上がってくるようになったのです。
仕事も、家族も、(ローン残有りだけど)家もある。
適齢期に元気な子どもまで授かれている。
一見すると、順風満帆な人生です。
でも、実態は、安らぎや充実とは、ほど遠いものでした。
年齢が上がるとともに、仕事で求められるアウトプットの量も難易度も上がって、仕事中は常に稼働率120%って状態。日々、仕事だけで力尽きて、家庭生活とのバランスが取れない。
夫婦二人で働いていて、世帯収入は十分にあるはずなのに、お金は出ていくばかりで、貯まるどころか、いつもカツカツ。
かねてから悪化していた夫婦関係は、もはや修復できないほどに破綻。
子どもたちに対しては、食べさせて、寝かせつけるだけで精一杯。家事の手をとめて、ゆっくり話を聞いてあげることもできないし、余裕のなさから、つい当たり散らしてしまうこともしばしば。
望んで建てたはずだったマイホームも、幸せよりも、負担の方を大きく感じるようになり…。
仕事と家事・子育てを両立するどころか、全倒れの生活になっていったのです。
始めの方こそ、「これはきっと、乗り越えるべき試練なのだ」と考えて、自己啓発や引き寄せ系の本を読み込んでは、思考言動を見直したりと、なかば無理矢理に、全てをよきように解釈しようとしていました。
でも、どう工夫してみても、どう心を立て直してみても、状況は改善するどころか、厳しくなるばかり。
自分の努力とは裏腹に、災難が降りかかる、難題に巻き込まれる、そんな出来事が絶えませんでした。
それで、
「もしやこれは、試練というよりは、道を切り替えるタイミングだよってサインなのでは…?」
と感じるようになり、30代の後半までには、
「このまま今の仕事を続けることは、違うのかもしれない」
「なんとなく、引っ越して、家を手放してしまったほうがいい気がする」
「家族のあり方も、見直したほうがいいのかもしれない」
と、実行に移したほうがよさそうな、具体的な行動の形まで見えてきました。
でも、まさに自転車をこいでいた最中、ブレーキのかけ方なんて、全然わかりませんでした。
ひたすら日々が忙しくて、せっかく訪れてくれた予感にも真剣に向き合うことができず、気力体力をふり絞って、ただその日をこなして続けていました。
その当時は認めきれていなかったけれど、慣れきった会社を辞めるとか、採算が取れるかわからないなか家を売却するとか、そんな大きな行動を起こすことが、怖くもあったのだと思います。
でも、体って本当にすごいなって感心するんですけど、そうこうしていたら、ある朝突然、パッタリと起き上がれなくなってしまったんです。
溜まっている仕事がわんさかあって、会社に行かなきゃと思うのに、金縛りみたいに体が固まって、どうやっても指一本動かせない。
動かそうとすると、自分の奥深くから、「行っちゃダメ!死ぬよ!」って声まで聞こえてきて。
「あぁ、そうだよね。」
そう、素直に思いました。
だって、予感は確実にあったのですから。
「私がいつまでも決断しなくて、行動を先延ばしにしていたから、強制終了させられたんだ」
って、納得がいきました。
そこから、時間はかかったけれど、ほつれた糸を解くように、ひとつひとつ整理し始めました。
ひとまず仕事を休み、新しい住まいを探し、持ち物ひとつひとつと人生後半も共にしたいか向き合い、約半量に減らし、引っ越し、家を売りに出し…。
新居探しでは、内覧してはがっかりしたりと、なかなかピンと来る物件に出会えなかったのですが、長く時間がかかったことで、住まいに求める条件はなんなのか、すなわち、今自分が求める暮らしとはなんなのか、あらためて突き詰めることにつながりました。
どの持ち物をいっしょに連れていくのか吟味することも、今現在の自分と向き合うこと、そのものでした。
だから、どの行動も、ものすごくエネルギーが要ったけれど、答えが見つかるたびに自分への理解が深まり、軽くなる、そんな感じだった。人生折り返しのタイミングでこの作業ができたことも、よかったと思います。
家のことが整ってから、15年近く勤めた会社も辞めることにしました。
職場へは、もしかしたら、しばらく休養すれば復帰できたのかもしれません。
ですが、あれだけはっきりと「死ぬよ!」と聞こえた以上、もうその選択肢を選ぶことはできませんでした。
戻ることは、また自分の本心に背くことに他ならないから。
怖れの気持ちからの選択を繰り返すことになるから。
そうしてしまったら、また同じように、強制的にベクトルを戻されるとわかっているから。
それから縁あって、今は、セラピストとして新たな道を歩み始めています。
キャリアの延長ではなく、まったくの新しい道。
先が見通せないし、もちろん不安がないわけではありません。
だけど、今度こそ、自分とともに、生きたかった人生を生きたいから。
今まで怖くてできなかったことを、叶えてあげたいから。
それこそが、自分を愛することだと気づいたから。
もう誰にも、何にも遠慮することなく、
小さな頃から興味があった心のこと
目には見えないけど感じるなにか
身体をととのえることで引き出される底力
そういったものの学びをより深めて、必要としておられる方にお届けしていきたいなと思っています。
ときおり顔を出す、
「ガチャポンしたいよー!」っていう子どもの自分や、
「優雅にアフタヌーンティーをしたいわ」っていう内側の自分
そんな小さな望みも叶えながら☆