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湧水しか受けつけなかった体が水道水でもだいじょうぶになった、というお話

「自分の波動が上がれば、たとえば、電磁波といったものの影響を受けにくい体に変化するといったことが起こりうる」というようなことを、本で読んだり、知人から聞いたりしたことがある。

「うっそだ〜」という声がすぐにでも聞こえてきそうな話だが、書籍を通して量子物理学の世界に触れてみると、なるほど、そういうことも起こりえるのかもしれないと、イメージはできる。

じゃあ、わたしのケースがそれに当てはまるのかというと、それは分からない。

だけど、ここ5年ほど湧水しか受けつけなかった私の体が、気がついたら水道水も大丈夫になっていた、というのは事実である。

20代のはちゃめちゃな生活で体をすっかり壊してしまった私は、その後、健康を取り戻すことに意識が向き、体に取り入れるものも見直すようになった。

『水』も、その一つだった。

まず、関心を持ったのは浄水器。
当時、超がつくほど頭でっかちだった私は、気になるメーカー何社かのデータを横並べして比較して、その中から選んだ浄水器を使い始めた。だけど、悪くはないけど、特にいいとも感じない。ピタッとはまる感覚はなかった。

すると、浄水器生活を1年弱続けたある日、山へ水汲みに行っているという友人の話が耳に入ってきた。

興味をもって、さっそく場所を教えてもらい、汲みにいってみた。

口に含んでみると、たしかに口あたりがやわらかく、体にすっとしみいる感覚がする。体が抵抗する感覚がない。

すっかり魅了されてしまい、その後、別の友人にも教えてもらった湧水スポットを含む2箇所をメインに、「体に入れる水は、ほぼ100%湧水」という生活を送るようになった。

自宅から湧水スポットまで片道1時間半ほどかけて、山道の季節の移り変わりを愛でながらドライブすることも楽しみの一つだった。

時々、悪天候のために水汲みを控え、水道水で生活することがあると、1週間も経たないうちに体がずんと重く感じられ、パフォーマンスも落ちるものだから、やっぱり湧水でないとダメだと、2週間に一度、せっせと山へ水汲みにいく生活に戻った。

だけど、自分の体のトリートメントを本格的に始めて2年ほど経ったある日、いつものように水汲みに出かけようと、タンクとペットボトルを準備しているときに、ふっと違和感を感じた。

「なんだろなー、この違和感」、「もしかして、湧水場の水質が変わったから用心してってことなのかな?」などと思ったものの、前回汲んだ水はもう残っていない。惰性で「とりあえず、今回まで」と車を出し、そのまま水を汲んで帰宅した。

ちなみにこの日は、走行中にも、水を汲んでいる最中にも、立て続けにいろいろなことがあった。

後部座席に置いていたペットボトルが、運転中に体がビクッと反応するくらいの大きな音で、バキッ!と鳴ったり、

湧水スポット入り口をくぐろうとする瞬間に「違うよ!」という声を感じたり、

水汲み中に通りがかったおじさまに、「みんなが汲んでいるから安全だなんて思わないで、ほんとうに大丈夫なのか、自分で確認しないとだめだよ!」と忠告いただいたり。

…それから考察を重ね、1ヶ月ほど経って、あのときに感じた違和感がなんだったのか、ようやく腑に落ちた。

汲み水が尽きた後、「試しに」と水道水で生活し始めてみると、以前にあれほど感じていた体の重さを、すっかり感じなくなっていたのである。

それで遡ってみると、始めは純粋な楽しみだった水汲みという行為が、いつの頃からか、ただの習慣や義務的な行為にすり替わってしまっていて、自分の負担になってしまっていたことにも気がついた。

そうか。
「もう水道水でも大丈夫な体になったよ」
「だから、今まで水汲みに費やしていたエネルギーは、これからは自分のために使ってね」ってメッセージだったんだと、すとんと納得がいった。

と同時に、冒頭に書いた「波動が上がれば…」の話を思い出し、ほんとうにこういうことってあるんだなと思った。

私の場合、波動が上がったということなのか、リンパ流しを続けているおかげで排出力と免疫力が上がったのか、はたまたその両方なのか、データのようなエビデンスは示せないけれど、自分の体が変わったという実感だけは、確かなもの。

体のトリートメントを続けることって、即効性が見えにくいし、そのぶん必要性も感じにくいものだと思う。

だけど、実際はしっかり効果が出るし、いろいろな意味でいちばんエコでもあるんだなと感じた出来事でもあった。