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水墨画とお茶とお菓子と

私の食道楽のせいでか、クラスには珍しい美味しいお菓子がいつも常備されている。私も出掛けた先で面白いものがあるときまって用意するのだが、そのお菓子のほとんどは今や生徒さん達が持って来てくださるようになった。最近は旅行に行かれることも多くなって、ますます各地からの見たこともないような珍しく奇抜なお菓子がたくさん集まっている。


私は各クラスの時間中にお茶をお出ししている。実を言えば、そのお茶もたくさんの種類があり、やはり生徒さん達が各地から持ち帰って差し入れてくださるものばかりだ。

水墨画は墨と水だけを使って描くので、シンプルな見た目以上に大変に気を遣い、自ずと集中させられるので、お稽古をしていると思った以上に疲労している。

そんな時に、いいお菓子があると、とてもいいインスピレーションになる。お菓子も、職人という芸術家が作った、ひとつひとつが芸術作品である。それは口に入れれば一瞬でなくなるかもしれないが、四季に応じて何かしら美しい良いものを表現してる。自分自身は白黒の世界で、描く対象(クラスではほとんどの場合が自然のものを描いている。花、草木、風景、蝶や鳥など。)の本質を鋭く感知している。描くのにうまくいかない事も多く、四苦八苦するのがお稽古だともいえる。そんな風に感受性を研いでいる時に出会う、お菓子という芸術が、常ならずに美しくありがたく感じられるものだ。菓子職人がお菓子に込めている、よい時を持って欲しいというあたたかな愛情が伝わりやすいと言える。コロンとした手のひらのお菓子の色も姿も手触りも、いっそう愛らしくやさしいものに感じられる。そうして、そのお菓子にあうように、全国から選りすぐったお茶をお淹れして、頂く。お茶の味にも千差万別があり、職人の高い理想がある。自分自身も芸術と組し合って戦ったあと、ひと時のお茶から感じられるものが、自然にたくさん出てくる。それぞれの生徒がそれぞれの感慨をもって味わっているクラスの空間で、やはり自ずとお互いに感化を受けている。良いものを感じて心が癒されるという事を、生徒さん達にここでたくさん経験して欲しい。


水墨画のクラスも、ただ絵がうまくなるというだけでは本質的に足りないと考えている。お稽古を通して、人生が幸せになるようでなければ、その芸術をやっている意味があるのだろうか?人生が幸せに生きられるように、心を豊かにすることである。心が豊かになるように、水墨画があり、水墨画のクラスがある。これが私の理想だ。

それは、もちろんプロフェッショナルになる人との修行はまったく違うものだ。私が言っているのは、一般の愛好者のお稽古の事。


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