僕のお祖母ちゃん

僕はお祖母ちゃん子として、育った。両親が共働きだったため、保育所に預けられている以外の時間はいつも一緒だった。八尾の合同宿舎の裏庭でビワの実を取ったり、近くの少年グラウンドで、トスバッティングするためにソフトボールをトスしてくれたり、思い出は尽きない。保育所の迎えも戦隊物が観たいがために「金曜日は早く迎えに来て」とせがむ僕にお祖母ちゃんは快く応じてくれた。夏休みは特にずっと一緒にいた。75歳の時に僕が捨て犬を拾ってきた時も、一緒に可愛がり、散歩も手伝ってくれた。75歳から始めて80代後半まで散歩してくれていた。
大阪大空襲を生き抜き、終戦で価値観の大転換を経験し、口癖は「戦争の時は毎日、新聞に嘘が載っていた。戦争は嫌やね〜」だった。

そんなお祖母ちゃんに今年のお盆休みは会うことができた。うちの次男とちょうど100歳差である。施設の部屋に入ると車椅子で現れ、「元気か〜?」「2歳になったんか?」「次会うときは忘れてるやろな〜」の3種類しか喋らなかった。耳はほとんど聞こえてないが、訪問を喜んでくれた。何より前回は怯えっぱなしだった長男と次男が緊張しつつも握手や写真撮影してくれたことが嬉しかった。
最後になるとは思えない。また近々会いに行きたいと思う。

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