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私のバンド履歴書

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バンドを組んできた思い出とこれから
運営しているクリエイター

#kenjamind

中トロ②

まっさんにこれまでのMTRの中身を曝け出している時に中トロの活動を思い出してきた。中トロの誕生は高校時代だが、本格化したのは大学時代だった。 当時、BUCK-TICKへの扉を開き始めたこともあり、中トロではBUCK-TICKをコピーしようと言うことになった。中トロの活動を一言で言うと「まっさんがBUCK-TICKのオケを耳コピで全パートを1週間程度で作成し、3ミーが歌う」というものだった。今なら暴動モノだし、報酬がない分、「王様より上(たかし談)」という待遇だった。 アルバム

中トロ

7月の某日、マッサン家にMTRを持参した。この15年ほど撮り溜めたコピーオンリーの音源である。 一曲目はMTR内蔵のエフェクターのみで作成したBOØWYの「give it to me」だ。聞いている内にそもそも自分が何故MTRを買って宅録を始めたのか、思い出してきた。 ドラムを担当したシコーズが一区切りとなった05年からマッサンとトリビュート作成に入った。マッサンから「トリビュートなんやから何かしら演奏しないと」と言われ、その気になったのは良かったのだが、ペースは絶望的なもの

kenjamind:beertles

最近、ベースの練習をちまちましている。というのも、kenjamindというバンドにベースで参加できることになったのだ! 自分の楽器遍歴を振り返ると、布袋さんへの憧れ(当時は“愛”と言っても良いくらいであった)からギターを手にしたが、バンドの中でギタリストとして活躍できることはなかった。完全に自分の努力、練習不足が要因であった。20歳の頃に組んだバンドでは何故かドラムを担当した。ドラムの魅力も相当なものだったが就職すると離れてしまった。 初めてベースを入手したのは24歳になる年

kenjamind-beertles②

というわけで行ってまいりました、kenjamind-beertles in スタジオシグナス。 いきなりの雨とやたら段差がある駐車場で「これ、やっちゃうんじゃないか」という不安からのスタートであった。 駐車して入口を見ると、いそいそとスタジオに入る人が見えた。「あ、ズミオさんだ」。 僕も続けと2階に。ズミオさんは2回目なので、あまり恐くはない。 まっさんがいない。というか来ない。続いて知らないおじさん2人が入ってきた。軽くパニクる中、自己紹介となった。このバンドはまっさんが人