不安がる嗜み
奇妙な感覚だ。眼に見える景観が線図に視える。その表象は、何を語りかけ、何を働きかけるのか、皆目見当もつかずに、ただ継続して過ぎゆく。
「眼に見えるものは全てではない」と語りかけられたある夜。「全てってなんだろうね」
ひとは表面しか理解し得ないのではないかと本気で思っていた。そのほうが楽だったからだ。まさしくそう思うこと、つまり思い込むことが「表面しか理解しない」という事柄自体だった。
寝息を聞きながら、ボーッとしていた。空気が籠る。窓をそっと開け、緩やかに風が通る。空気が循環し、スーっと肺に入り込んでくる。寒い。
立ち上がったついでに円卓にあるグラスをクイっと傾け、喉を濡らす。引き戸を開く。イヤホンをつけて、ニュースを聴く。
絶え間ない空間の和らぎを感じる。なんらかと調和して、なんらかがなんらかたる理由を探す。
ボケっと窓を眺めながら、スーッと息を吸う。思考が止まる。空を飛ぶ鳥らを思い、ふと我に帰る。グーっと流れ込む思考の波に溺れる。熱い。
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眼を見る。
「それ、本気で言っているの?」ええ。「それならそうと、事前に言って欲しかったわ」ええ。
いつだってそうだった。思考がうまく飼い慣らされていて、あまりにも動きが悪い。ある時に発した言葉には一定も価値はなく、いまの感情のみが意味をなした。純能なんだろうと思う。悪く言えば「行き当たりばったり」だ。後先を考えずに、何かを賭してしまう。悪い癖だ。
海沿いを歩きながら、熱い珈琲を啜る。
きっとそうね、あまりにも急すぎるわ
- そうかな
私たちって、なんだったんだろうね
- どうかな
レンガを踏み締めながら、温い珈琲を飲む
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