ぼんやり世界が病んでる感じ

ある日を思い出す。ハイラックスの荷台に足をかけて乗り、悪路をいく。30度ほど世界が傾斜し、なんとかバランスをとる。天を仰ぎながら、遠藤周作の「海と毒薬」を思い出す。運命という海にいる感覚を持つ。荷台には、プラスチック製の椅子がスタックされ、大きな麻袋には備品を詰め込んであった。「あと10分で大通りだ」、はいよーと気だるく返事をする。まさに上の空だった。


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今日の朝は05時には目を覚ましていた。異常にスマホが輝いていて、騒いでいたのだ。ただ広いベッドの対角線になり、天井を見つめ、よしっと起き上がる。ニュースを聴き流しながら、ストレッチをする。外界との関わりはここから始まる。主要なニュースを聞き終えたところで、音楽へ切り替える。Blazoのcolors of jazzから今日ばかりは橙色をチョイスした

https://open.spotify.com/track/3sbvmlrcPIAOec9C4ksgwi?si=QKDAnNgMQBy3kLG_kAiixA&context=spotify%3Aalbum%3A4tuCKl3ffyT9fja0vwZXUM

多少、考えを巡らせ、いくつかのメッセージを打って、シャワーを浴びる。出ると、近くに住む某氏から「さんぽしない?おきているでしょ?」と連絡。当たり前だ、6時だぞ。

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大きな通りにでる。アフリカ大陸の「大通り」は陸路の要だ。いわゆる産業道路として発達している。それ故に、貨物車が時間を問わずに多く行き交う。スピード超過を防ぐために、途上で凸凹している。それを何度か受けながら、20分ほど、より内陸へ、よりウガンダよりへ移動する。その最中も、天を仰ぎながら、ゆっくりと呼吸する。

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「ずいぶんと高頻度だね、めずらしい」と家に招き入れる。相変わらず人間味のない棲家と言葉ね、と嫌味を言われ、「まあ」と応戦する。30分ほど散歩。身体の調和を感じながら、水面にある曖昧な反射を受け止める。
右足を出し、左足を出す。その連続によって導かれる。それを当たり前じゃないか、と否定しないのが彼女の素晴らしいポイントの一つだ。「つまりね、質的には異なるのよ」と語る。

「私は私であって、あなたじゃないの」
- そうだね
「同質化して検討するなんて傲慢な哲学でしかない」
- そうかもね
「心音の同化、同期は認めたけれど、質的にはいまだに大きく異なるはずなの」
- 客観と主観?つまり、物質的なものと精神的な統合?
「そうだね」
- 人間たり得る理由は、それらをつなぐ総合性にあるよ、きっとね
「またキルケゴールね」
- まあね
「それもいいね」
- 統合された?
「そうかもね」

ゆったりとアイスコーヒーなら、コロンビアがいいのよ、と雑な会話を淡々とこなしながら、統合された時間を収束される。ゆっくりと息を吸う

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