未来の過去としての今

タクシーにいま、乗っている。スマホを開き、文字を打つ。音楽を聴くか、外を眺めるか悩み、目を閉じる。

思えば、未来にこうなりうるかもしれないので、今こうしておこう、だって未来に後悔したく無いからね。と、あまりに注意や関心が、未来に向きすぎていないか。いまできる判断は多くないし、いまある喜びや、誰かの想いを忘れてしまってないか。


6時には起きた。昨晩は22時には寝た。窓を開け、風を浴び、熱い湯船に浸かる。朝食には、夏野菜の漬物を各種、マリネや浅漬け、キムチなど世界中には様々な時間が解決する系統の料理があり、それらが好み。

10時には家を出た。少しストレッチをして、部屋の掃除を終え、スッキリした気分で、街を歩く。モールに入るなどして涼む。レストランフロアで、軽くタパスに舌鼓。南部のパロミノ種は癖なく、複数のタパスをつまむにはちょうど良い。

昼過ぎには、丸の内の丸善へ。ここに籠ると決めていた。3階にはレンタルスペースがあり、面倒な登録不要で、デスクを借りられる。もちろん、図書に囲まれている。芸術や人文、新書や文庫、雑誌や写真集まですぐさま手に入るこの空間が好き。タブレットを開き、情報を処理しながら、本に手をかけた。

16時には、両手いっぱいの図書と共に一時帰宅。すぐさま丸の内に帰ってきた。このところ顔を合わすことが多い某氏と落ち合う。丸の内側と行ったのに、八重洲側に出てしまうのは彼女の癖で、きっとそうだろうと思い八重洲口にいたのは、長年の経験による判断だった。というわけで、八重洲をぐるり。少し離れたワインバーの特等席を確保。「なんでもない日だね」とそれ自体を祝おうと、かなり良いシャンパンを開けた。羨むほど、コクのある味わいに舌鼓を打つ。その後はブルゴーニュの赤をヴィンテージ指定で。会話をしながら決めた。ナチュールのある種のトゲ感を消していく。


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