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子どもの成熟は違いがあっていいんです/小児はり☆

生物とは、植物とは、動物とは、人間とは

生物とは、”栄養”という命の綱を頼りに、ぎりぎりの危ない橋を渡りながら”生殖”を繰り返していくことが本来の営み。「栄養ー生殖の繰り返し」。

植物とは、生まれながらにして合成能力を持ち、豊かにふりそそぐ太陽(光)のもとで、地上のどこにでもある材料(水、二酸化炭素、無機物)をもととして、自分ひとりで生命の源をつくりあげていく存在(光合成)。
自然のすべて(地・水・火・風)を最大限に利用。

動物は、合成能力がなく、植物のつくりあげた”平和のみのり”に頼らざるを得ない。そのため、大自然の中から、自分の好みにあった”えさ”だけをみつけ(感覚)、その獲得に向かって動く(運動)という新しい仕事をはじめた存在。

動物たちは、泳ぎ(魚類)、のたうち(爬虫類)、飛び(鳥類)、歩く・走る(哺乳類)という、いずれも地球の重力に逆らった一つの冒険に出て、様々な方法で”えさ”を獲得する。

合成能力に欠けた動物は、動くという方法「感覚ー運動」を頼りに、「栄養ー生殖」を遂行する。

人間と他の動物との違いは、大脳半球の発達である。
大脳半球が発達した人間には、夕焼けや星のきらめきを見る、そよ風を感じる等々、無数の「景色」が眼前に開けてきた。
”景観”に目覚めた人類の祖先たちは、やがて視野拡大のやむにやまれぬ衝動から、ついに”立ち上がり”、かなたこなたを”指さし”、それぞれに”呼びかけ”ていったという。

また、二足歩行で自由になった手で、豊かな自然の心に導かれつつ、様々な道具を次々に作り出し、人間独自の世界を形成していく。

三木成夫さんは、著書である『生命形態学序説』の中で、このように書かれています。

子どもの成長は、人類進化の歴史の縮小版なのではないかと感じました。
誕生した生命は、はじめ自力では何もできませんが、自然環境や社会環境などの刺激を受けながら、「感覚ー運動」機能が発育、発達、成熟し、自力で栄養をとる能力、手段を獲得し、生殖により子孫繁栄できる能力を獲得、遂行していく存在になることなのだと思います。

そのような観点から、大人はその不完全な存在である子どもの心と身体を支援していく責任があります。
皮膚を優しく擦り、脳など中枢へ刺激を伝え症状を改善することができる技術”小児はり”は、子どもたちの発育、発達、成熟をサポートできる優しいツールでもあります。

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