自分史第7弾~憧れの人と出会う~

こんばんは。今日から小学生の頃の僕を振り返りたいと思います。小学生に上がり、自分自身で親元から離れたいと思いから支援学校に通い、寮生活をし始めました。
 寮生活を始めた数日は、両親から解放された解放感でいっぱいでした。ですが、それが、始めて3日で寂しくなってしまいました。僕自身も予想外でした。朝おきて、「おはよう」と両親に言われて僕の好みに合わせた朝ごはんがあることへの幸せを感じました。僕が通っていた寮は、週末になると親元に帰ることが許されていたので、毎週末は金曜日の夕方に迎えに来てもらい、月曜の朝に学校に直接送ってもらってました。それだけ、寂しかったです。寮以外での生活は、新しい友達・新たなに取り組むことへの楽しさに充実していました。
 例えば、「宿題」という仕組みが自分の中では、楽しかったのを覚えてます。先生に習ったことを、自分で力試しをしている感覚になっていました。できるかできないかを確かめて、できない部分は、強化をしていくのはものすごく楽しかったのを覚えています。最初のころは、宿題が楽しかったので先生に宿題をもっと増やしてくださいって言ってました(笑)。なんと、偉かったんでしょうか?(笑)
 1年生の担任の先生は、女性の方でS先生でした。S先生は、入学式で「自分のことは自分でしよう」ということを言われました。この言葉の通りを実行されていました。この1年間は、かなり鍛えられました。いやこの先生とのやり取りは濃いかったです。この話を濃いので、いずれ書いていきます。
 支援学校に通いだして、同じような障害を抱えていても普通に車いすを自力で動ける子が複数名いました。僕は、それまで自力で動ける子がいなくて、自力で動ける子なのかでは一番できると思ってました。そんな、自惚れを覆すように支援学校では自分は一番できない子でした。しかも、みんな車椅子のスピードも僕よりも速くついていけませんでした。悔しかったのを覚えています。特に僕の1個年上にR君と2個上にN君という子がいました。R君は、車椅子で動くのが速くて、頭も切れてリーダー的な存在でした。僕が、生まれて初めて憧れて人です。僕は、R君に色々な面で追いつきたくて、金魚の糞のように引っ付いて過ごしていました。N君は、優しい男の子で僕に学校での過ごした方を教えてくれていました。N君は、本当にいい人でいつも頼っていたのを覚えています。僕を含めたR君とN君と3人でこれから支援学校を出るまで、数々の事件を起こしていくのでした。
 今日は、あまり深堀しませんでした。深堀をしだしたら長くなるので今日は、ここまでやめておきます。また、明日で。
#車椅子生活 #ヒルシュスプルング病   #先天性脳性麻痺 #支援学校 #1年生

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