CB750の誕生

「1966年の世界GPで、Hondaが史上初の5クラス完全制覇を達成したんだよ。それから、翌年には世界GPロードレースからの撤退を決めて、次の目標はレースで得た技術を市販車の高性能化に活かすことだったんだ。その結果、1969年にDREAM CB750FOUR(K0〈ゼロ〉)が誕生したんだ。

当時、Hondaはアメリカを含む先進国に多くの2輪車を輸出していたけど、大排気量のスポーツバイクは求められていなかったんだ。でもアメリカン・ホンダから新製品の要望が寄せられたことで、HondaはドリームCB450を開発して応えたんだ。

CB450は売れたけど、アメリカのライダーは最高速だけでなく、トルクフィーリングも重視していたんだ。そこで、CB450の市場状況を確認するために、開発責任者の原田義郎がアメリカへ行ったんだ。彼はCB450が他の650ccバイクよりも性能が優れていることをアメリカン・ホンダのメンバーに説いたけど、彼らは450ccよりも大きい排気量を求めていたんだ。

その時、英国のトライアンフ社が3気筒・750ccの高性能車を開発しているという情報が入ってきたんだ。これが契機となり、Hondaは750ccのエンジンを持ち、67馬力の大型バイクを開発することになったんだ。

1968年に開発プロジェクトがスタートし、CB750FOURの設計が進められたんだ。このバイクは初めての大排気量車であり、安全性と快適性を重視した設計がされていたんだ。特に人間工学的な配慮がなされていて、高速道路での長距離ツーリングをより安全で快適にするための機能が組み込まれていたんだ。

CB750FOURはディスクブレーキを装着した初の2輪量産車でもあったんだ。当初はドラムブレーキと迷っていたけど、本田宗一郎の一言でディスクブレーキに決まったんだ。そして、1969年にCB750FOURが発表され、大きな注目を集めたんだ。

CB750FOURの成功により、日本の他のメーカーも750ccの大排気量スポーツバイクを追随し、ナナハン・ブームが起きたんだ。また、CB750FOURはレースでも活躍し、鈴鹿10時間耐久レースやAMAデイトナ200マイルレースで勝利を収めたんだ。

このCB750FOURの成功を受けて、Hondaはさらに魅力的な大排気量バイクを開発し、カワサキのZ1やゴールドウィングGL1000などが登場したんだ。CB750FOURはHondaの歴史において重要な車種であり、日本のバイク文化に大きな影響を与えたんだよ。」

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