自殺は選択ではない、衝動だ

というのは、自分は心理学者でも脳科学者でも無いので真相は知らないけれど、個人的な見解でそうなのではないか、と思っていることである。

身近に自死で亡くなった方がいる方に対して十分な配慮ができる自信がないので、この先の内容は自己責任で読んでいただきたいと先に言い訳しておく。

自分が誰なのか分からなくなるほど塞ぎ込んだ時期、後にカウンセリングで解離だといわれた様々な現象が自分に起こりはじめていて(厳密に言えばもっと前から傾向はあったのだが) 通勤の電車に乗っては、家に帰っては、存在することが苦痛ですぐに居なくなりたいと思っていた。部屋で泣いては、自分の心臓を滅多刺しにしたり頭をどこかにぶつけて割る想像と衝動に駆られていた。

自分の人生の中で一番深刻な時期だったけれど、それでも実際に痛いのは嫌だったので深刻な自傷もすることなく一頻り泣いて絶望したら疲れて寝ることはできた。

あれほど苦しかった時期に一思いに死ねなかった自分と、実際にそれを成し遂げた人たちとは、何が違うというのだろう。あれから何年も経ってからも、そうなんとなく疑問に思うことがあった。

もちろん苦しみのレベルに基準はない。人が死を選ぶほどの苦しみに一定のレベルの尺度があるわけではないし、それを測ることができるというのでもない。測ろうとするのは無慈悲と言えることに思える。

しかし、人が極限の状況で死を選んで実行する時というのは単なる精神的絶望だけでは足りないように思う。これは死に方にもよると思うが、それが何故かというと体の痛みへの反応と死への恐怖というのはとても抗い難いものだからだ。多分ほとんどの人間にとってそうなのではないかと思う。実際にナイフを皮膚に突きつけてみると、痛みでその先へ進もうなどとは考えられなくなる。高いところから落ちようと考えれば、着地した時の事を考える。死の恐怖はそう簡単に克服できるものではない。(だから、できるだけ痛みや死の実感がない方法なら計画的に死ぬことはできるのだろうと思うが)

生きる事に希望を持っていようがいまいが、どれだけ生きることから逃げたかろうが、同じ事だ。どれだけ生きる事に絶望していても、痛みと死の恐怖は克服し難い。

よく、芸能人の自死のニュースに対して「それが本人が選んだ事なら、尊重しないとと思う」とか、「悲しいけどそれがあの人の選んだ事なんだね」というコメントを見かけた。個人の生き方を表面的には否定しないというスタンスはとても現代らしい考え方だな、と思う。

でも実際そうだろうか?本当にその人は望んでその選択をしたのだろうか?選択をしたのか?もしかしたら、理性の面では不本意だったのではないか?

鬱を引きずっていた自分は、パニック障害になって人混みが耐えられなくなったり、突然喘息を発症したり、解熱鎮痛剤のアレルギーになったり、たった1、2年でかなり体調を崩していた。
それでも数年でなんとなく精神的には元気になってきて、問題の核心に触れなければ普通に生活できるレベルにはなった。

けれど、一定の期間をおいて、その衝動が来ることがあった。

格別に悪いことがあったとか、絶望するような何かがあったとか、そういうのではない。ほんの些細な事が引き金になるのだ。
その衝動がくると痛みは感じない。カッターで腕を切りつけても何も感じない。今すぐ走り出して大通りの車通りの中に飛び出していきたい。皮膚をかきむしりたい。アドレナリンとかそういう脳内物質の類なのかもしれない。すっかり興奮しきっているのだけれど、単なる興奮とは完全に異質のものだった。ベクトルが自滅の方向にのみ向いている興奮だ。居ても立っても居られない、というのがしっくりくる。自分を壊したくて居ても立っても居られない、そんな感覚だ。


有名人の自殺の記事にはよくこう書いてある。
その日、いつものように家族で食事をして、笑っていた。
周りの人は、そんなに思い詰めてるとは思わなかった、と言う。あの人がどうして?と。

人は表面上笑うことができてしまう。抱え込んでいても普通の風景に紛れることができる。

でももしその衝動がやってきたら、痛みと死の恐怖を克服してしまうんだと思う。

そして、その日そういう形でいなくなる事が本当に望みだったわけではなくても、その衝動はその人を殺してしまう事がある。その選択は決して、その人の冷静な判断ではない。

だから、そんな簡単に「それがその人の選んだ道」だなんて受け入れてしまわないでほしい。
と、思ってしまう。

追記:
そもそもなぜこれを書こうと思ったかと言うと、
自死が本人の選択だと残された人が考えるのは本当に正しいのか、そしてそう思ったりそう前提して話すことが遺族に必要以上の苦しみを与えていないのだろうか、と疑問に思ったからだ。

ただでさえ残された人の苦しみは大きい。そこまで思い詰めていたならなぜ話してくれなかったのか?私と生きることを放棄しなければならなかったのか?産後うつで自死を選んだと言われたらその子供はどうやって生きていけば良いのか? 

残された近しい人が自分の心が楽になるという理由で本人が選択したことだと解釈するのならいい。だが他人がそれを言う場合単なる他人事でしかないし、むしろ遺族を傷つけるのではないかと思う。本人が選択した死だなんてとても言えたものではない。

絵の勉強をしたり、文章の感性を広げるため本を読んだり、記事を書く時のカフェ代などに使わせていただきます。