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出走


 昨日の自分にケツをたたかれ、鈍く出走。考えてみると、人を動かすためにケツを叩いたり、叩かれた経験ってなくない?
養老孟子の本に、昔の人が約束や義理を重んじたのは、過去・現在・未来の自分が同一ではないという考えが一般的だったからと書いてあった。昔の自分は別人だからその約束は今の俺には関係ないと平気で言いのけられるのだ。
確かに現代の感覚でその論理は通用しないように思う。約束には効力があり、言った言ってないが争点になり、小学生は地球の回転を数える。

  今日少し読んだ吉本ばななさんの短編集に、催眠療法を通じて過去の自分を思い出すシーンがあった。多分精神分析と似たようなもので「あなたは今○○にいて○○をしています」といった切り口から連想ゲームのように脳の引き出しを開けていく手法だと思うが、僕はそういった二人称視点の語り口が大好きだ。
 それを意識したのは、”Call  If You Need Me”という愛聴しているPodcast番組のエピソード4の冒頭で行われる朗読を聞いた時で、ひんやりとした空気を吐き出すような声から始まる「あなたは23歳で台所に立っている。」という語り口に心臓がキュッと持ち上がる切なさを感じたのを覚えている。

「あなたは」と呼ばれることで自己に起こりえたことでイメージをするが、次第に状況が具体性を増していくと私ではなく他人の目を借りていることに気づく。しかしどこか自分に起こったことのようにも思える。水に溶けだした絵の具の塊に、新しく絵の具を垂らしたように、自己と「あなた(誰か)」の境界があいまいになる。そんな感覚だ。

日記を書くといったのにだいぶ逸れてしまったな、、全然うまくまとめられないけど↑のエピソードよかったら聞いてみてください。


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