文章は、絵や音楽よりは芸術になりにくいと敢えて指摘する

素晴らしい絵画は、芸術である。
素晴らしい音楽は、芸術である。

特に違和感はない。では、
素晴らしい文章は?

……この問いに対する答えは、人によって差があると思っている。

「芸術である」と答える人もいるだろう。でも、結構な割合で芸術「的」であると答える人もいると思われるのだ。

ここで「的」がついた場合、厳密には芸術ではないという意味を含むのではなかろうか? 芸術のようだということになるのだから。

また、芸術であると答える人も、突き詰めると芸術だと思うのは文章の「表現」であったりする。そうならば、文章そのものを芸術だと考える人はかなり少ないことになる。

何故だろう? その理由を考えると、文章は人間の感性に直結した刺激になりにくい点が挙げられる。語句理解や読解等の思考能力を経由するため、刺激は間接的になる。

絵画は見れば分かる。音楽は聴けば分かる。でも、例えば小説や随筆は読めば分かる、とは限らない。

東京芸術大学に美術学部と音楽学部はあるけれど、文学部はないのである。

何も文章も芸術だと主張したいのではない。ただ、芸術だと思われない理由として、人の感性への訴求力がどうしても低くなるという事実は、指摘しておきたいと思ったのだ。

NOTEでは多くのクリエイターが、日々少なからぬ文章をアップしている。でも、「パッと見」や「チョイ聴き」でも惹きつける可能性のある絵画や音楽に比べて、文章は一見さんの感性に訴えにくい点で圧倒的に不利だろう。

それでも、「自分には『言いたいこと』『伝えたいこと』がある」といったやむにやまれぬ思いを持って書き続ける人達が少なからずいる。このことは、意に留めるべきではなかろうか。

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