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パーティーを楽しめるのも才能

今日は暑くなりました。着実に夏に向かっているのを感じます。今日まではずっと長袖シャツを着ていたのですが、そろそろ半袖シャツに移行するかを真剣に考える必要がありそうです。

さて、……。

先日、とあるパーティーに出席した。それはある方の定年退職を慰労する会なのだけど、ちょっと職位の高い方であったため、幹事が立食パーティー形式での開催を企画した。

その退職された方は、私が昔に大変お世話になった。だから、これは出なければと思って出席することにした。

ただ、出席者の多くは私よりも後の時代に関係された方が多く、私がよく知っている人はほとんどいない状況であった。

もちろん退職者からは「おお辻君、来てくれたんだね。ありがとう!」と言われたので行った甲斐はあった。もし「あれ、ええっと、誰だったっけ?」等と言われたら深い悲しみに沈むところであった。

しかしながら、その数分の会話を除くと、会話できる人がほとんどいない。全くゼロではないのだけど、その人は私以外にも話せる人がいる。そのため、お互いに一通り近況報告をし合うと、それで終わってしまう。そしてお互いに「ではまた」「では」と次の相手を探すことになってしまう。

ただ、全然関わりがない人に「退職者とは、どのような関わりがあったのですか」と聞いて回るわけにも行かない。結局チビチビと水割りを飲んで壁の花になる(年齢的には、花と言うよりもドライフラワーか)か、トイレで時間を潰すことになった。

中座して帰ることも頭に浮かんだのだけど、最後に記念写真を撮ることが想像され(実際、そうなった)、それも取り得ない。

見ていると、中には他人の目など気にせず料理を美味しそうに食べている人もいるのだけど、私はさすがにそれはやりにくい。なかなか進まない時計を何度も見たり、退職者を囲む輪と微妙な距離を取りながら漏れてくる会話を拝聴したりして何とかやり過ごした。

締めの挨拶を聞いて、今後の活躍を祈る一本で締めて、記念撮影に収まってと全ての義務を果たした一方で、かなり消耗した自分をねぎらいたいと思う。

あなたは、このような経験をしたことはないだろうか。ないのであれば心から尊敬する。

パーティーでうまく立ち回れるのも立派な才能。才能ゆえに皆が持っているものではない。私はそれを持たない属性にいることを改めて認識したし、実際しんどかったと正直に告白する。

次の機会があったら、不義理になるかも知れないけれど参加者を教えてもらってアウエーにならないかを慎重に判断してから出欠を決めたいと思う。

お読み頂き、ありがとうございました。

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