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「パトラッシュ」は今の若者にも通用するキャラだと知った

朝の冷え込みに慣れたいところですが、キツくて無理です。日は少しずつ長くなってきていますので、春の訪れに期待したいところです。

さて、……

あなたは「フランダースの犬」というアニメの存在をご存知だろうか。私が小学生の頃に放送されたものであり、世代によっては知らないと思っていた。でも今の若者に聞いてみると、意外に知っていることが分かった。

なぜだろうと思い重ねて問うと、テレビで観たことがあるという。恐らく懐かしのアニメを特集するテレビ番組の企画が定期的に組まれるため、若者でもそれを見る機会があるからだと思われる。

この手の番組では、喜怒哀楽のテーマごとに名場面集が作られるが、フランダースの犬のエンディングは、観た人が号泣するシーンとして鉄板でその上位に入るものとされる。

主人公のネロが、憧れのルーベンスの2枚の絵(本稿のタイトル画はそのうちの1枚の「キリスト昇架」)を見た後に疲れて倒れ伏す。そこにネロを探してやってきたパトラッシュに顔を舐められて目を開け、パトラッシュに話し掛ける。

パトラッシュ、お前、ここを探してきてくれたんだね。分かったよ。 お前は「いつまでも僕と一緒だ」って、そう言ってくれてるんだね。ありがとう。 パトラッシュ、僕は見たんだよ。一番見たかった、ルーベンスの2枚の絵を。 だから、僕は今すごーく幸せなんだよ。 パトラッシュ… 疲れたろう。僕も疲れたんだ。なんだかとても眠いんだ。 パトラッシュ…

フランダースの犬『最終回』

この台詞、世間ではネロがパトラッシュに「もう疲れたよ、パトラッシュ」と言ったとされて広まっているが、それは明確に間違いである。ネロは決して自分の逆境を訴えかけるような発言はしていない。

引用した発言をご一読頂ければ分かるように、ネロは最後までパトラッシュに感謝を述べ、労っている。自分も疲れ切り、低体温症で意識が朦朧となりながらも、なお愛犬への思いを持ち続ける健気さが観る人の心を打つ。

ただ、正しい方は内容が重過ぎる。まともに受け止めきれる人ばかりではないだろう。もしかしたら、この重さゆえに正視に耐えない人が多いために、間違った表現の方が広まったのかな、という臆測をしてしまう。

それが正しいかはともかく、職場で「パトラッシュが迎えに来たので帰ります」と言っても通用する。段々悪乗りしてきて、自らの疲れを「パトラッシュを多頭飼いし過ぎて飼育崩壊状態です」と表現したりもする。

半世紀前にアニメ化を考えた方々は、パトラッシュがそんな表現で使われる等とは思いも寄らなかっただろう。でも、インパクトがあったからだと思えば、そのような形でも今に伝わっていることを喜んでくれるのではないかと勝手に思っている。

お読み頂き、ありがとうございました。

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