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「あす」は明るい未来だけを意味しない

私は、NHKの朝ドラを視聴してから出勤する習慣がここ数年続いている。

全くの私的事情で地上波の放送だと間に合わないので、BSの早い時間の放送を観ている。

今週から「おかえりモネ」が始まった。主人公の清原果耶さんについては、「透明なゆりかご」の頃から注目していたので楽しみにしている。それはさておき、昨日の放送分であすなろの木が登場していた。

あすなろと言えば、私は脊髄反射で井上靖さんのあすなろ物語を思い出してしまう。その一節――

あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ。

このように聞いていたので、あすなろは檜より劣るのかと思っていた。でも、ドラマの「ヒバという木だよ」との台詞を聞いて、ヒバならそう見下げたものではないな、と感じた。

というのは、私は学生時代に青森を旅行し、その際にヒバ風呂に入ったことがあるからだ。その香りはかなり良かったと記憶している。檜には及ばないのかも知れないが、とても癒やされた。

一方で17日(月)には、アスベストについて国と企業の責任を認める初の最高裁判例が出されることとなった。

ヒバが「あすはベストになろう、あすはベストになろう……」と考えていたらどんな名前になっていただろうか?......昨日は輪番の出勤日であり、不謹慎ながら出社途中にこのような疑問がふと頭に浮かんでしまった。

新型コロナウイルスの感染による肺炎も、アスベストを吸い込んだことにより発症する肺がんや胸膜中皮腫も、呼吸困難による苦しさは筆舌に尽くしがたいものであろう。

そしていずれも国がもっと早く動いていたら、それらで苦しむ人を減らすことができただろうにとの思いは、不謹慎な私でも持つ。

お金での解決は、本来は最後の手段である。今後はそのような対応をせざるを得なくなる前に、国が機敏に対応することを強く願う。慎重を期すことは大切だけど、それで健康を損なう人が増えるのでは本末転倒なのだから。

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